INTERVEW
東京電制工業株式会社

大堀相馬焼をきっかけにご縁ができた、ものづくりの企業様へのインタビュー。今回は、私たちの暮らしの中で「電気を使ってものを動かす事柄」すべてに関わっている計装・制御盤の製造・開発企業、東京電制工業株式会社様を訪ねました。50年前に1人で創業されたという代表取締役会長 水戸武雄様に、 これまでのあゆみや大堀相馬焼との出会いを伺いました。

縁のあった浪江町出身の焼き物を、
50周年記念に

インタビュー風景
松永
この度は大堀相馬焼をお選びいただき、ありがとうございます。きっかけというのは、どんなものだったのでしょうか。
水戸
半年前になるかな、テレビで大堀相馬焼の特集をやっていたんです。確か福島県の浪江町で作られていたと思うんですが、私がこの会社を作ったとき、一番最初に懇意にさせてもらった会社がたまたま浪江町の近くにあってね。それで、よく通っていたんです。それと、大堀相馬焼の湯のみは、私の亡くなった父が日常的に使っていたものと同じものだったんですよ。当時は大堀相馬焼だって、知らなかったんだけどね。浪江町は放射線の影響で立ち入れないと聞いていたんですが、大堀相馬焼が、新しい土を頑張って掘り起こして、窯を再興したって見てね。これはすごいな、いいなと思いました。震災後のバックアップもしたいと思って、採用させていただきましたよ。
松永
ありがとうございます。あらゆるご縁があって採用いただいたんですね。
水戸
これから、社員やお客様のところに順次渡していく予定です。湯のみが二重構造になってるというのは、初めて知りましたよ。他にも特徴があるんだよね。
松永
この青ひびと、左馬も大堀相馬焼ならではの特徴です。左馬は「右に出るものがいない」という意味で、商売をされている方にも喜んでいただいています。
水戸
そういう説明書きも含めて、一緒に入っているからわかりやすいね。

少しずつ、少しずつ大きくなってきた

インタビュー風景
松永
ここまでに多くのご苦労があったと思いますが、御社にはどんな歴史があるんですか。
水戸
私はもともと地元の製造会社で3年ほど働いていたんです。そこでたまたま次世代のオートメーション計測器を扱う会社を作る、という話があって、転職しました。私は経済学部ですから、当時会計あたりをやらせてもらえるかなと思っていたんですけど、入ってみたら「君は営業をやるんだよ」と言われて。今も有名な食品メーカーさんとか、大手企業様も含めてお客様として仕事をすることになりましたね。当時営業は1人だったから、縦横無尽に走り回って、1日6件くらい回ってました。しかも計測器や制御盤を販売するには、工事もできたり、システマティックな部分もわかっていなくちゃなりません。なので、そこから自分自身もものづくりに関わるようになったんですよ。経済学部を出ているだけに、元はお金をどう儲けるかに興味があったんだけどね(笑)。そのうち、実際に製造する会社を自分で立ち上げようということになって、創業したということです。

計測機器、制御盤と言われて、イメージがつかない人も多いと思いますけど、電気でものを動かすためには全て、制御が必要なんです。なので、あらゆる業界がお客様の対象になるんですよ。営業をしていたときは、食品系や建材関連の企業さんとのお付き合いが多かったけど、今はお客さんの業界の幅も広がって、有名な大型テーマパークなんかでも採用されています。国内だけでなく海外もインドネシア、マレーシアなどに展開中です。そんな中で、一番最初のお客さんが浪江町のすぐそばにあった、ということですね。
インタビュー風景
松永
そうでしたか。50年をかけて、どのように会社を成長させてこられたんですか。
水戸
もともと前職までで、設計の基本も含め勉強させてもらってある程度のことはできたので、初めからたくさん人を増やすのではなくて、1人2人増えたら仕事を増やし、仕事が増えてきたらまた採用する、という感じできました。東京駅の丸ビルまでいざ営業にいったのに、担当の方が辞めていた、なんてこともあれば、訪ねた方が偉くなってて、大型案件の受注につながったり。いろいろありましたよ。
松永
今はネット上なんかでも探せたりしますけど、そういうつながりを大事にされてきたんですね。経営も順調にこられたんですか。
水戸
赤字になったことはありましたよ。最初は実績もないから、信用がなくて小切手も発行できない。そんなときはご縁のあった大手の企業様にご協力いただいたりしてね。最近はM&Aもいくつかしています。少しずつ少しずつ大きくなって、今ようやく従業員が112名になりました。場所も、今拠点にしているこの土地は埋立地で、当初はこの地図の通り、まっさらだったんだね。一番多いときは、ここに15社くらいあったかな。今は半分くらいになりましたね。
インタビュー風景
松永
この場所で、いろんなドラマがあったんでしょうね。

残すところは残しつつ、変革していく

インタビュー風景
松永
この半世紀もの間、会社として続けられているのには、どんな秘訣があるんでしょうか。
水戸
お客様のニーズにあったものを設計したいという思いはいつもあります。うちの仕事は製造といってもお客様の要望が1つ1つ違うので、ライン生産でなく受注生産です。1つ1つカスタマイズしなければならないということなのでそれは大変なところです。でもここは断らない会社なので、どんどん引き受けますよ。
松永
そうなんですね。お客様にとって本当に心強いでしょうね。
水戸
あと、従業員は大事にしてきたつもりです。アメリカのトランプ大統領はアメリカ is No.1なんていうけど、うちは従業員ナンバーワンでしょうか。経営的に大変な時期もありましたけど、今はみんな一生懸命働いた分利益もあがるようになっているので、配当を増やしたり、社員の家族の方も含めてホテルでおもてなしをしたり。結婚しても続けられるようにね、制度をちゃんとしたり。そういうところは大事にしたいと思ってます。その代わり、一生懸命働いてもらっていますよ。
松永
次世代の担い手として、息子さんが事業継承をされたと伺いましたが、この会社の将来についてはどのように考えていらっしゃいますか。
水戸
承継はおかげさまで無事にできましてね。息子は技術的な知識はないんだけど、別の会社でコミュニケーション力を鍛えてきて、専門的にやってきたインテリアデザインなんかの知識も活かしながら、HPを作ったり、また違う形でやっていますよ。お客様も新しいところを開拓してね。違った切り口の仕事がきています。以前、私が脳梗塞をやったのも大きいですね。その時に一度、会社を次世代にになってもらうようなことも考えたのが、今に繋がっているかもしれません。
松永
培ってこられたものは継承しつつ、新しい展開に繋がっているのは本当にすごいですね。
水戸
松永さんは4代目?
松永
そうです。うちも事業承継している途中といったところですが、見習いたいところが多いです。
水戸
うちも家族経営のようなものですよ。でも会社の中は、家族というのとはまた違う形になりますよね。
松永
そうですね。これまでは一子相伝という雰囲気もあるんですが、これからは新しい風も入れながらやっていきたいと思います。本日はとても勉強になりました。本当にありがとうございました。

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