大堀相馬焼コラム

浪江町内で復活した十日市祭で、大堀相馬焼「豆皿」のデザイン・モチーフを募集しました

真っ青な広い空、輝く太陽。福島県浜通り地方を象徴するようなお天気の下、大堀相馬焼の故郷、浪江町の十日市祭に行ってきました。DSC_2492

7年ぶりに町内で開催された十日市祭

浪江の秋の風物詩、「十日市(とおかいち)祭」は、もともと旧暦の10月10日を中日とする3日間の祭事で、収穫を終えた人々が豊年を祝い、冬に向けて生活用品をそろえるための市として、明治時代に始まったものだそうです(現在は11月下旬の週末の開催)。

震災前までの十日市祭は、中心市街地・新町通りに300を超える露天が立ち並び、町内会ごとの御神輿が練り歩くほか、大道芸、作品展、演奏会などにぎやかな催しが盛りだくさん。もちろん、大堀相馬焼の窯元たちも出展し、子供たちの陶芸作品展示などもありました。町内のみならず相双・いわき方面からも大勢の人が訪れ、浜通り地方の一大イベントとして賑わったものです。


<写真=震災前の十日市(浪江町役場ご提供)>

ところが、2011年3月の東日本大震災と原発事故により、浪江町は全町避難に。十日市祭の存続も危ぶまれましたが、町民有志の力により、その年の11月、役場の避難先となった二本松市で開催することができたのです。以来6年間、一度の休止もなく毎年受け継がれてきた「復興なみえ町十日市祭」は、今年、一部避難指示解除となった浪江町にとうとう帰って来たのでした。

場所は以前の新町通りではなく、新しく完成した地域スポーツセンター。今年は「ふるさとの祭り2017」(民俗芸能継承事業)や「ドローンフェスタ2017」(福島ロボットテストフィールドのプレOpen祭)も同時開催ということで、11月25・26日の両日とも会場は大賑わいでした。駐車場には80ほども露店がひしめき、その間を来場者が埋め尽くす、往時をほうふつとさせる光景も。帰還人口はまだ400人ほどの浪江町に、2日間あわせてなんと3万人近くが訪れたそうです!

大堀相馬焼の豆皿デザインのアイデア募集!

さて、その賑わうブースの一角に、「大堀相馬焼 豆皿デザイン ワークショップ」の看板が。DSC_2479

こちらは、松永窯4代目・松永武士がふくしまみらいチャレンジプロジェクトと共同で企画した、お土産として買ってもらえる「大堀相馬焼の豆皿セット」制作プロジェクトの一環です。

今般の原発事故で避難指示を経験したのは、福島県浜通り地方を中心とする12市町村。この地域の風景や特産物などをデフォルメ・デザインして大堀相馬焼の豆皿に描く、というものですが、その絵柄の元となるモチーフを、十日市にご来場の皆さんから募ろうというわけです。

「この地域を訪れたみなさんに、その思い出を持ち帰ってシェアしていただけるよう、地域の伝統工芸を使って物語性のあるお土産品を作ることを考えました。その絵柄は、たとえば赤べことか鶴ヶ城といった誰でも知っているモチーフでなくていいのです。ひとつひとつのデザインには説明書(ストーリー)をつけますので、むしろ、あまり知られていないもののほうがいい」(松永武士)

ということで、ブースに立ち寄ってくださったみなさんは、豆皿サイズ(直径約8.5センチ)の円の中へ、思い思いに「私の考える〇〇(浪江、南相馬、浜通り…)」を表現してくださいました。DSC_2500

絵を拝見しながら少しお話を聞いてみると、みなさん本当にいろいろなところから十日市へお越しになったことがわかります。

●「実家が浪江なんですが、両親とも他県へ避難してもう浪江には帰りません。でもこういう機会があればまた浪江に来られます。子供のころ、十日市はすごく楽しみで。当時は今頃すでに雪がちらついていたものだけど、今日は暑いくらいですね」(南相馬からいらした女性)

●「仕事が漁業関係なので、福島の沿岸部の現状を見に来ました。浪江は初めてです。請戸にも行ってきました。請戸小学校の校庭に残されたカエルの像が印象的で」(東京からいらした男性)

●「浪江って横幅があって、海・山・川なんでもあるからひとつだけ選べないなあ」(津島出身のご姉妹)

●「浪江には初めて来ました。何もなくなってしまった場所を実際に見て、改めて大変だったんだなと心を痛めています。息子にもよく見ておくんだよと言いました」(会津からいらした女性と息子さん)

集まった絵を見渡すと、浪江の花・コスモス、リバーラインの花見が楽しみだった桜、この時期ヤナ漁が盛んだった鮭、勇壮な出初式に欠かせない大漁旗、3月から浪江以北が運転再開したJR常磐線、などなど。ユニークなところでは、町内の除草に使われたヤギ、浜通りで広く導入が進む太陽光発電のパネルを描いてくださった方も。DSC_2505

2日間で合計200点ほどのデザイン・モチーフが集まりました!ブースにお立ち寄りいただき、ご協力くださった皆さま、どうもありがとうございました。ここから最終的には10種程度を選んでデフォルメ、デザインに落とし込んで、商品として仕上がるのは来年2月の予定ということです。

浪江町内には、大堀相馬焼発祥の地である大堀地区を含む、まだ避難指示が解除されていない「帰還困難区域」が残っています。それでも、町内での十日市の復活・大盛況ぶりは、町が以前の姿を取り戻すための大きな一歩となったことでしょう。この豆皿お土産プロジェクトも、浜通り地方、浪江町、そして大堀相馬焼の復活を内外にアピールする新しいツールとして、成功が期待されます。

(取材・文・写真=中川雅美 2017年11月)

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