大堀相馬焼コラム

きっと馬九いく!大堀相馬焼は浪江のみなさんと共に(1) 瀧真琴さん

第1回:瀧真琴(たき・まこと)さん
有限会社新瀧 専務取締役

浪江町大堀地区に受け継がれてきた伝統工芸品「大堀相馬焼」。日常使いだけでなく、左馬(右に出るものがいない)、九頭馬(馬九行久=うまくいく)の絵柄は、縁起物として開店祝いなどの贈答にも用いられ、喜ばれてきました。このシリーズでは、少しずつ活気を取り戻しつつある浪江町でお店を再開したり事業を開始したりしているみなさんをお訪ねし、抱負を伺います。

今回は、今年2月、南相馬の人気店だった「サッポロラーメンたき」を浪江町内で再開した瀧真琴さんをご紹介します。

瀧さんと奥さま

人気のみそ、通は塩、カレー!?

浪江町高瀬、国道6号沿いにオープンした「サッポロラーメンたき」。お昼時が近づくと次々と人が入っていきます。経営者の瀧真琴さんに伺うと、「人気はみそラーメンですが、常連のお客様は結構カレーや塩がお好きな方も多いですね」とのこと。

そのみそラーメンを注文すると、見慣れたラーメンとは少し違って、チャーシューやメンマは載っていません。

「うちはシンプルにモヤシとネギ。肉は挽肉を使います。これが札幌ラーメンなんですよ。たまに北海道出身の方がいらっしゃると、あぁ、これこれ!とおっしゃいます(笑)」

みそラーメン - コピー

この札幌スタイルのラーメンを50年近くも前に南相馬市で提供し始めたのが、真琴さんのお父様でした。「おそらく札幌ラーメン福島初進出!みたいな存在だったと思う」(真琴さん)というそのお店が、元祖「サッポロラーメンたき」です。

ところが2年程前、その南相馬店の入居していた建物が経年のため解体されることに。当時店を切り盛りしていた真琴さんの伯母様もご高齢となったため、真琴さんが引き継ぐ話になりました。南相馬市内で移転先することを含めていろいろ考えた末、真琴さんは浪江町で「サッポロラーメンたき」を再開させることを決意したのです。

浪江に「サッポロラーメンたき」が甦るまで

震災前までは、浪江町内で寿司、弁当、居酒屋、ファミリーレストランから作業員下宿まで、多様な事業を展開する有限会社新瀧の専務取締役として、忙しく活動していた真琴さん。原発事故で避難を強いられてからは、(田村市)都路、大玉村、郡山市と避難生活を続ける中、新天地で事業を再開するか、しかし浪江町に残してきた多くの店をどうするか、悩む日々が続いたといいます。

「避難指示解除の時期がなかなか見えず、浪江を諦めることも考えました。でも、個人経営の店なら、別の場所ですぐ再開も考えられたでしょうが、会社として借金もありましたし、土地も建物も残っています。他所で始めたとしても、浪江が解除になったらここはどうするんだと」

そんな中で、南相馬の「サッポロラーメンたき」を引き継ぐ話が持ち上がり、移転先を検討し始めた矢先、2017年3月末の浪江町の一部避難指示解除が正式決定。真琴さんは、そこで「腹をくくった」のでした。

「今の浪江で店を再開することに、もちろんリスクはありました。本当に採算がとれるのか?賭けの部分はありましたね。でも、どうせダメになるなら、他所でなくここでやってダメになったほうがいいと」

そうして2018年2月26日、浪江町に「サッポロラーメンたき」の看板がよみがえったのでした。人気のみそラーメンのみそは、南相馬でお父様が開業したとき以来、同じものを使っているそう。お客様の半分以上は、懐かしい味を求めて、南相馬や相馬から食べに来てくださっているといいます。

現在はまだランチタイムのみの営業ですが、最近は夜の宴会予約も増加中。このさき町内人口が増えれば、夜の営業も視野に入れているそうです。

いまは思い切りやるだけ!

まだまだ以前と同じ環境には戻っていない浪江町には、まだスーパーなどがありません。具材の野菜は南相馬から仕入れて配送してもらっており、「厨房で万一ネギが切れた!となっても買いに走ることができず、閉店するしかない」という厳しさ。また、平日は浪江町内で生活している真琴さんにとって、郡山で暮らすお子さんたちとなかなか会えない寂しさも、きっとおありでしょう。

でも、真琴さんは前を向いています。

「これからお客さんのニーズをきちんととらえて、それにあったスタイルで少しずつ展開していこうと考えています。ラーメンだけでは物足りないというお客さんが多くなれば、定食をやるとかですね。いろいろプランは考えていますよ。とにかく、やるだけやってダメだったら仕方ない。いまは思い切りやるだけ!」

そんな真琴さんには、事業のご成功とご発展をお祈りして、「これぞ大堀相馬焼」という縁起物の夫婦湯呑をプレゼントしました。二重焼、青ひび、そして左馬。栖鳳窯(山田正博さん)による伝統的な作品です。

栖鳳窯の湯呑

手に取って、「こういう湯呑は浪江町のどの家庭にもありましたねえ…」と懐かしそうな真琴さん。実は、浪江に帰ってくるにあたり、以前使っていた食器類などはすべて処分してしまったのだそう。

「避難生活中、浪江の家は手付かずだったので、片付けに帰って来たときはもう大変なことになっていました。それで、家具からなにから家の中にあったもの全部捨てたんです。子供の小学校の入学祝で当時買ってもらったばかりだった勉強机も、処分せざるを得ませんでした。放射性物質のこともよくわからなかったですしね。だから、たくさんあった食器類もそのとき全部、捨ててしまったんです」

湯呑を持つ真琴さん

そうした数々の苦労を乗り越え、ゼロから再スタートした真琴さんのもとに、また少しずつ、大堀相馬焼の器とともにたくさんの良い思い出が積み重なっていきますように。多くの方に愛されるお店になり、食を通じてまちの復興の手助けしたい、という真琴さんの思いが叶うことをお祈りします。

(取材・文・写真=中川雅美 2018年6月)

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