大堀相馬焼コラム

きっと馬九いく!大堀相馬焼は浪江の皆さんと共に(6) 石井絹江さん

第6回:石井絹江さん
石井農園 代表

浪江町大堀地区に受け継がれてきた伝統工芸品「大堀相馬焼」。左馬(右に出るものがいない)、九頭馬(馬九行久=うまくいく)の絵柄は、日常使いだけでなく縁起物として開店祝いなどの贈答にも用いられ、喜ばれてきました。このシリーズでは、少しずつ活気を取り戻しつつある浪江町でお店を再開したり事業を開始したりしているみなさんをお訪ねし、抱負を伺います。

今回は、2015年から町内で営農を再開、現在は浪江を再びエゴマの里にしようと活躍中の石井農園・石井絹江さんをご紹介します。

01エゴマと石井さん

自然豊かなふるさと

国道114号で西から浪江町へ入ると、まず津島(赤宇木)という地区を通ります。町役場などがある市街地まではまだ30キロほど。秋は紅葉が美しいこの山間の集落が、石井絹江さんのふるさとです。

「以前はね、この辺ではキノコや山菜を採っていたんですよ。家でも自分たちで食べる野菜はほとんど作っていましたし、酪農家の夫を手伝って牛の世話もしていました」

津島地区は残念ながら今でも放射線量が高く、まだ人が住むことができません。親子4代8人で賑やかにお住まいだった石井さんの家も、獣害がひどく、もう残念な姿になってしまいました。避難先から最初のうちは頻繁に片付けに通っていたものの、「途中で諦めてしまった」そうです。

でも石井さんには「怒り」の感情はないといいます。「過去に起きてしまったことは変えられませんから。それよりも、今後どうやって浪江を『住みたいと思う町』にしていくか、それを考えた方が良いでしょう」

震災後の7年間、石井さんはその言葉通りのことを実行してこられました。

石井農園が誕生、浪江をエゴマの里に

2012年に定年退職するまで40年以上浪江町役場にお勤めだった石井さん。大震災当時は津島診療所に勤務していました。最初は市街地から着の身着のまま避難してきた町民を受け入れ、その後は診療所ごと避難先を転々とする日々。混乱のなかで町職員として住民の安全を守ることを第一に行動し、ご自身は家族とバラバラになりました。その間のご苦労は計り知れません。2014年には、避難中に痛めた膝に人工関節を入れる手術にも踏み切ったそうです。

数々の苦難を乗り越えた石井さんご夫妻は、その後、避難先の福島市にご自宅を購入、2015年には市内に農地も入手しました。当初は、「自家菜園程度で、そんなに大規模にやるつもりはなかった」のだそうですが、動き始めれば次々とやりたいことが。エゴマを栽培してエゴマ油、以前から趣味で作っていたジャム、お義母さま直伝レシピの「かぼちゃ饅頭」も作りたい・・・。仲間を集め、加工場も新設し、「石井農園」が誕生します。国の支援も受けて商品開発・販路拡大を進めると同時に、浪江町内でも農地を借りて少しずつ営農を再開したのでした。

02エゴマの里かんばん

そのエゴマは石井さんの“シンボル”のひとつ。役場職員時代は農産品の振興にも携わり、健康に良いとされるエゴマ(別名じゅうねん=食べると十年長生きするという意味)の栽培を町に広める取組みを先導していた石井さんは、再度、エゴマを町の特産として甦らせようと考えています。そして2016年、ついに浪江産エゴマから絞ったエゴマ油が誕生しました。

03エゴマ油とかぼちゃまんじゅうノボリ

今ではエゴマジャムやエゴマドレッシング、エゴマラー油などの新商品も生まれているとのこと。町内の作付け面積も2ヘクタールまで増えたそうです。「現在、収穫したエゴマは福島市内に持ち帰って加工していますが、いずれは浪江にも加工場を作りたい」と笑顔で語ってくださいました。

みんなと力を合わせて浪江の将来を

震災後もずっと走り続けてきた石井さんに、そのエネルギーの源はどこから?と伺うと、「うちの主人ですね」とのお答え。迷ったり不安になったりしたとき旦那様に相談すると、「やってみればいい」といつも背中を押してくださったそうです。そんな石井さんには、あさかの窯の夫婦湯呑みをプレゼントしました。

04湯呑アップ

郡山市での窯の再開にあたり、以前の岳堂窯から名称が変更されていますが、石井さんはさすが、「あぁ、志賀喜宏さんですね。わぁすてき!」とすぐお分かりになりました。「おしゃれですね、これ、お茶がおいしく見えますね」

そして表面に描かれたブドウの絵柄を見て、「もうひとつ、商品化したいと思っている植物があるんです。それは町内にもたくさん自生している野ブドウ。別名馬ブドウともいい、いろんな効能がある万能薬草なんです。葉や茎を煎じてお茶にするんですが、それを飲むための大堀相馬焼の湯呑みがあったらいいですねぇ」と、ここでもアイデアが。

06馬ブドウ

大堀相馬焼の窯元たちにとって一大イベントだった「大せとまつり」は、毎年ゴールデンウィークに浪江町大堀地区で開催されていました。その時期、ちょうど津島地区では山菜の盛り。毎年、津島の住民は収穫した山菜を大せとまつりで販売し、大好評だったそうです。そういう山の恵みがもうダメになってしまって・・・とおっしゃったときの石井さんは少し寂しそうでしたが、でもすぐにいつもの笑顔に戻られました。

一方で、「浪江まち物語つたえ隊」のメンバーとして、大震災と原発事故避難にまつわる数々の物語を紙芝居で伝える活動を続けている石井さん。過去はしっかりと語り継ぎつつも、悲しみに囚われず前に進むという姿勢を、身をもって教えてくださっているようです。

05湯呑を持つ石井さん

最近は、町内に移住した若者へエゴマや馬ブドウの栽培指導も始められたとのこと。浪江をエゴマの里にしたいという石井さんの夢は、旦那様はもちろん、多くの町民の皆さんとも力を合わせてきっと実現することでしょう。一日も早くその日が来ますようにお祈りいたします。

(取材・文・写真=中川雅美 2018年9月)

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