大堀相馬焼コラム

大堀相馬焼を次の世代に――技術伝承に挑む3名の若者たち

伝統工芸は匠の世界。その技は一朝一夕に修得できるものではありません。浪江町の大堀相馬焼も同様に、300年以上の長きにわたって親から子へと受け継がれてきたものでした。

絵付けイメージ

10年やって一人前といわれるその伝統技術の承継に、いま県外からやってきた20代の若者3人が挑んでいます。浪江町の地域おこし協力隊員として採用され、今年4~6月に赴任した吉田直弘さん、室井早紀さん、堀口文仁さん。いずれも京都の大学で陶芸を学び、在学中に松永窯のインターンを経験したことがきっかけで、大堀相馬焼の世界に飛び込むことを決めたそうです。

去る11月末、町内で8年半ぶりに再開した「大せとまつり」のブースで、絵付け教室を担当していた3人を訪ねて話を聞きました。

地域おこし協力隊3名▲左から吉田さん、室井さん、堀口さん▲

 

長い道のりも一歩ずつ

3人は現在、西郷村と白河市でそれぞれ窯を再開した松永窯といかりや窯にて修業の日々を送っています。

兵庫県出身の吉田さんと東京都出身の室井さんは、2018年3月に京都美術工芸大学を卒業後、すぐに地域おこし協力隊員として福島へやってきました。二人とも家業は陶芸と無関係とのこと。なぜこの道に入ったのか伺うと、「祖母が器好きだったこともあり、なんとなく」(吉田さん)、「伝統工芸ってなんだかかっこいいなと思って」(室井さん)と、現代の若者らしいお答えです。

もちろん、選んだ道を歩む姿は真剣そのもの。地域おこし協力隊として活動を始めて8か月、ここまでの感想を聞いたところ、「自分が4年間大学で学んできたことの集大成を見せられると思ったら、最初はズタボロでした(笑)。ろくろを回すのも慣れていたはずなのに、最初は全然できなくて」という吉田さん。だれもが最初に感じる”試練“なのでしょうが、技の世界はまずそこを乗り越えてこそ。若い自分たちに賭けられた期待の大きさをしっかり受け止めつつ、「最近は少し手ごたえを感じてきたかな」と、着実に歩みを進める自信を覗かせてくれました。

 

また、「大学で松永窯のインターンの求人に出会わなかったら、大堀相馬焼のことは一生知らずにいたかもしれない」という室井さんはいま、大せとまつりのような催事での展示販売に参加するたび、「これから(大堀相馬焼を)担っていくんだという責任感を強く感じる」と言います。練習しているという馬の絵付けも、「描く人によって、丁寧な感じとか元気はつらつな感じとか、性格が表れていて面白いですね」と、熱心に研究中の様子でした。

 

もう一人、鹿児島県出身の堀口さんは少々異色の経歴の持ち主です。沖縄で6年間、料理の仕事をする中で器に興味を持ち、学校で基礎から陶芸を学ぼうと京都の短大へ。「料理を教えてくれた師匠が、器を決めてから料理を考える人だったんです。だから、料理人の想像力をかきたてるような器をつくってみたいと思った」のだそうです。

やはり在学中に松永窯のインターンに参加したことが縁となり、今年6月から地域おこし協力隊員として修業を始めていますが、「まだまだですね。正直、自分は学校では結構できる方だったんですよ。でもプロとして求められるレベルは全然違う」と、顔を引き締めていました。

 

 

技を引き継ぎ、「いつかは自分の窯を」

日本全国で伝統工芸の後継者不足が課題となる中、大震災と原発事故に見舞われた浪江町の大堀相馬焼にとって、事態は一層深刻です。生業としての陶芸は、窯を持ち作品を焼き上げて販売する窯元のもとに、成型や絵付けなど各工程を担当する多くの職人がいてこそ成り立つ世界。産地である大堀地区に集中していたこの窯元と職人のコミュニティは、避難によってバラバラになってしまいました。

ろくろイメージ

避難を機に多くの窯元が廃業を、そして多くの職人が引退を余儀なくされ、新天地で再開を果たした数少ない窯元たちは、こんどは職人の不足という問題にも直面することになったのです。特に、大堀相馬焼の特徴である二重構造の技術伝承は急務。自らろくろを回してこの技を守る窯元自身を含め、作れる現役職人は数えるほどしかいません。おのずと3人の若き協力隊員には期待がかかります。

その職人である根本清巳さんは、「陶芸の学校では教えてくれないことがいっぱいある。10年修業して一人前。そして職人は一人前になってからが勝負」と語ります。3人には「もっと貪欲になってほしい」と注文をつけますが、その厳しさは大堀相馬焼を次世代につなぐ期待の裏返しなのでしょう。

職人の根本さん▲「大せとまつり」でろくろの実演をする根本さん▲

3人は現在、商品の受注・梱包・発送、陶芸教室やイベントへの出展など、修行先の窯元の仕事をこなしながら自身の作品づくりにも挑み、成型から絵付け、焼成まで全工程の技術習得に励んでいます。協力隊の任期(3年)終了後も福島に残り、まずは職人として修業を続け、「ゆくゆくは自分の窯を持ちたい」と語る皆さん。その夢が叶うとき、未曾有の困難を乗り越えた伝統的工芸品、大堀相馬焼が新たなステージに到達していることを願ってやみません。

(取材・文・動画=中川雅美 2018年11月)

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