大堀相馬焼コラム

きっと馬九いく!大堀相馬焼は浪江の皆さんと共に(12)門馬孝之さん

第12回:門馬孝之さん
FB代行運転サービス 代表

浪江町大堀地区に受け継がれてきた伝統工芸品「大堀相馬焼」。左馬(右に出るものがいない)、九頭馬(馬九行久=うまくいく)の絵柄は、日常使いだけでなく縁起物として開店祝いなどの贈答にも用いられ、喜ばれてきました。このシリーズでは、少しずつ活気を取り戻しつつある浪江町で事業を再開している方々をお訪ねし、抱負を伺います。

今回は、2018年11月15日に営業を再開したFB代行運転サービスの門馬孝之さんをご紹介します。
事務所前で

浪江に欠かせないサービスだった運転代行

公共交通機関の発達していない地方では、通勤を含む移動手段は自家用車が基本。楽しい夜の宴席でも、帰りにハンドルを握ってくれる人がいなければお酒を飲むことができません。そこで欠かせないのが代行運転サービスです。

東日本大震災前の浪江町は、人口のわりに飲食店が多いことで知られていました。食堂、居酒屋、スナックなど昭和50年代から急激に増えたといい、新町通りを中心とする市街地には多くの店が立ち並んでいました。門馬孝之さんが2008年に立ち上げた「FB代行運転サービス」は、それまで勤めていたお兄様経営の同業社とともに町内に2社あった代行会社のうちの1つで、経営は順調だったといいます。

「開業時のあいさつ回りでは150軒くらい訪問しました。人口21,000人の町にそれだけ飲食店があったんです。当時の浪江には大手企業の工場や支店もありましたから、法人のお客様も多かったですしね。手が足りなくなって東京で仕事していた息子も呼び戻し、いずれは譲るつもりで一緒にやり始めたところへ大震災が起きたんです」

原発事故による避難のご苦労は、ここで語り尽くせるものではありません。避難先を転々とするうち、門馬さんは脳梗塞で倒れてしまいました。幸い軽度でほとんど障害は残らなかったものの、慣れない土地での生活に体調はすぐれず、仕事ができない状態が続いたそうです。当時は浪江町から遠く離れ、気候もまったく違う会津地方の喜多方に避難していました。

「その後、2016年夏に(浪江の北隣の)南相馬市に家を建てて、やっと浜に戻ってこられたんです。そうしたらだんだん体調も良くなってきて、何かやらなければと、町の広報誌で募集していた見守り隊(町内パトロール)に応募しました」

そうして週2~3回、町内のパトロールを始めたのが2017年4月のこと。3月末に町の一部では避難指示が解除され、復興がまさに始まろうとしていたときでした。当時から既に浪江での営業再開も考え始めていたという門馬さんですが、代行運転サービスは住む人がいてお酒を飲める店があってこそ成り立つ商売。最初は、夜の運転代行以外で車を使うビジネスを検討したそうです。

「でもなかなか難しくてね。そのうち、町内にも飲食店が少しずつ増えていって、『代行があったらなあ』という声も出てきました」

しかし、増えたといっても1月時点でその数は15店ほど。以前とは比較になりませんが、それでも門馬さんは、「利用してくれる人が1日に1人でも2人でもいるならば」と、「FB代行運転サービス」の事業再開を届け出たのです。帰りの足を心配しなくても、お店でお酒を飲んで寛げるという「当たり前の生活」が、またひとつ浪江に戻ってきたのでした。

苦しいのは想定内、不安と期待と

今回、開業祝いとしてお持ちした品は、松永窯(松永和夫さん)のコーヒーカップです。広口なので飲みやすく、大きめの取っ手もよく手に馴染むデザイン。家族経営のFB代行運転サービスを支える奥様とともに、寒い夜間の営業中ぜひ温かいお飲み物でほっと一息ついていただきたく、コバルトブルーとピンクのペアでお贈りしました。

松永窯広口カップ

「大堀相馬焼はね、嫌いじゃないです(笑)。家でももちろん使っていましたし、わざわざ買いに行くこともあります。南相馬に家を建てたときの、新築祝いのお返しの品も大堀相馬焼。(二本松に移って共同窯を再開している)協同組合に注文して作ってもらったんですよ」
カップを持つ門馬さん夫妻

そう、大堀相馬焼とはまさにそうした節目での記念品として、昔から贈り贈られてきた伝統工芸品なのでした。

さて、営業再開から約2か月。少しずつ認知されてきたとはいえ、いまだ1本も電話が鳴らない日が続くこともあるそう。「はっきり言って商売にはなってませんが、それも想定内」と笑う門馬さんですが、浪江町の将来を手放しで楽観しているわけではありません。

「最近、お祭りとかのイベントはたくさんやってますけど、そういう効果は一時的なもの。以前のように大きな企業が進出してくれたり、大きな商業施設ができたりして町に住む人がもっと増えないと、代行運転という仕事だけで食べていくことは難しいですよ。このままでは息子が継げるような状況ではない。でも始めたからにはすぐ止めるわけにはいかないからね(笑)。関連ビジネスの可能性も含めて、もう少し様子を見たい」

請戸(うけど)の漁師の家に、7人兄弟姉妹の末っ子として生まれた門馬さん。ご実家は家も船も流されてしまいました。しかし、復旧が進む請戸漁港には2017年ついに漁船が戻り、試験操業が行われています。2019年度中には水産関連施設の一部も稼働開始する予定で、門馬さんの故郷はわずかずつ元の姿を取り戻しつつあります。

「浪江の復興はやっぱり請戸からでしょう」とおっしゃるそのお声には、町の将来への不安を上回る期待がこもっているようにも感じられました。

(取材・文・写真=中川雅美 2019年1月)

 

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