大堀相馬焼コラム

きっと馬九いく!大堀相馬焼は地域の皆さんと共に(15)田村貴正さん

第15回:田村貴正さん
初發神社 禰宜

浪江町大堀地区に受け継がれてきた伝統工芸品「大堀相馬焼」。左馬(右に出るものがいない)、九頭馬(馬九行久=うまくいく)の絵柄は、日常使いだけでなく縁起物として開店祝いなどの贈答にも用いられ、喜ばれてきました。このシリーズでは、少しずつ活気を取り戻しつつある浪江および近隣の町で事業を再開している方々をお訪ねし、抱負を伺います。

今回は、浪江町北幾世橋の歴史ある初發神社の禰宜として、念願の社殿再建を果たした田村貴正さんをご紹介します。

田村さん、社殿の前で

8年ぶりの初詣参拝者を迎えた初發神社

2019年元旦。浪江町北幾世橋(きたきよはし)にある相馬妙見宮初發(しょはつ)神社の前には旗が掲げられ、真新しい社殿で8年ぶりのご祈祷が行われました。地域住民にとっても、鎮守の神様へ8年ぶりの初詣です。社殿再建に奔走した禰宜(ねぎ)の田村貴正さんは、「なんとしても正月に間に合わせたかった」のだと語ります。

外観

元禄時代、相馬公によって建立されたこの神社は、本殿が県の重要文化財に指定される歴史的な建造物。震度6強の揺れが襲った東日本大震災では甚大な被害をうけたものの、幸い社殿の倒壊はまぬがれ、ご神体も無事でした。しかし、直後の原発事故のため、代々宮司を務める田村家も避難を余儀なくされます。最初の1ヶ月だけで7か所も避難先を転々とした田村さん一家は、震災翌年にいわき市の借上げ住宅に移って、やっと一息つくことができる状態でした。

最初のころは浪江に帰れる見通しがまったくつかず、「一度はどん底の気持ちになった」という田村さん。諦めかけた気持ちを盛り返させてくれたのは、若い世代の神職で構成される「神道青年全国協議会」および「福島県神道青年会」の皆さんからの支援と励ましだったといいます。

「皆さんと共に浜通り各地の被災神社の復旧作業などに携わっているうち、必ずや私たちの初發神社も再建しなければという気持ちに変わっていったのです。震災から2年後には北幾世橋も日中の立ち入りが可能になり、まずは傾いた社殿の倒壊を防ぐ応急処置を行いました」

本殿
▲拝殿より、県の重要文化財に指定されている本殿を臨む▲

その後、本格的な復旧を決意してから5年。数々の課題を乗り越えて2018年夏に着工し、避難指示解除後2回目の正月のご祈祷をぜひ浪江で、という願いが叶ったのでした。3月17日には竣工祭も執り行い、この機に幾世橋芸能保存会の神楽も復活して奉納することができたそうです。また当日は、假屋崎省吾さんによる奉納生け花のほか、雅楽演奏や人形劇、縁日も開催。「境内に8年ぶりで子供たちの声が響いたのは何よりうれしかった」と、田村さんは目を細めました。

大堀とのご縁は昔も今も

とはいえ、将来は手放しで楽観できるものではありません。若い世代がなかなか浪江町へ戻らない・戻れない中、以前300世帯ほどあった初發神社の氏子も減少の一途。ご自身も、奥様と3人のお子様をいわきに残し、浪江との2拠点生活が続きます。それでも田村さんは、「神様にお仕えする身として、神社を荒らしたままにはしておけない」という気持ちでここまでやってきました。

「ここからがスタート。たとえ小規模でも例祭など今までやってきたことを復活させて、焦らずできることからやっていきたい。そして、神社の復興だけでなく故郷の復興に寄与していきたい」

穏やかに、しかし力強くそう語る田村さんへ、今回お祝いとしてお持ちしたのは春山窯(小野田利治さん)のこちらの作品です。

田村さんと湯さまし

持ち手が付いて「湯さまし」と名付けられていますが、もちろん納豆鉢などとしても使えるもの。ぽってりとした肉厚の肌には大堀相馬焼の特徴である細かいひび(貫入)が入り、縁起物の左馬に躍動感があります。

実は田村さん、「大堀地区の皆さんには大変お世話になっていた」といいます。その訳は・・・

「浪江町内に神社は多数ありますが、宮司(神主)がいる本務社は5社ほど。そのほかの神社(兼務社)は、普段は氏子である地域住民が手入れをしつつ、例祭やお祓いなどの神事は本務社から神職が出向いて執り行われていました。初發神社にも十社の兼務社があり、実はそのうちのひとつが大堀地区の愛宕神社だったのです」

なるほど、それでは窯元の皆さんもよくご存知のはず。実際、窯元が避難先で窯を再建した際のお祓いなども行い、大堀とのご縁は続いているそうです。

「この辺でなにか催事に使うといえば大堀相馬焼でしたからね。私の結婚式の引き出物にも使わせていただいたんですよ。この状況下で伝統工芸を継承していくのは大変なことですが、伝統は一度途切れたら復活させるのは至難。是非がんばって代々伝えていってほしいと思います」

復活した初發神社がこれからも住民の心の拠りどころとして、末永くこの地に鎮座されますようお祈りいたします。

(取材・文・写真=中川雅美 2019年4月)

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