大堀相馬焼コラム

きっと馬九いく!大堀相馬焼は浪江のみなさんと共に (3) 渡辺良一さん

第3回:渡辺良一さん
株式会社 渡辺商店 専務取締役

浪江町大堀地区に受け継がれてきた伝統工芸品「大堀相馬焼」。日常使いだけでなく、左馬(右に出るものがいない)、九頭馬(馬九行久=うまくいく)の絵柄は、縁起物として開店祝いなどの贈答にも用いられ、喜ばれてきました。このシリーズでは、少しずつ活気を取り戻しつつある浪江町でお店を再開したり事業を開始したりしているみなさんをお訪ねし、抱負を伺います。

今回は、まだ浪江町全域が避難区域だった2014年7月に町内でガソリンスタンドを再開させ、5年目を迎えた渡辺商店の渡辺良一さんをご紹介します。

渡辺商店外観

だれも住んでいない町内で再開

「いや、こんなに忙しくなるとは思ってなかったんですよ」

営業を再開した4年前を振り返り、渡辺さんはそうおっしゃいます。2011年3月の原発事故による全町避難で、当時の町内は文字通りもぬけの殻。渡辺商店がある権現堂地区も、以前は多くの店が軒を並べるにぎやかな商店街でしたが、このときは見る影もない状態でした。

しかし、その頃から町内では災害復旧と除染、将来の帰町に向けた準備がいよいよ始まりつつあったのです。復興の第一歩となるそれらの作業に欠かせないのは、車両。そして、それを動かす燃料です。当時は埼玉に避難し、東京で仕事をしていた渡辺さんですが、町や復旧工事関係者から強く請われる形で、まだだれも住んでいない浪江で店の再開を決めたのでした。

「といっても、そこまで需要はないと判断して設備の更新も最小限にとどめ、ゆっくりやるつもりで店を開けました。毎日、所沢から片道2時間半かけて通うのは大変でしたが、大々的に告知もしなかったし、それほど忙しくないだろうと思って。実際、最初のうちはだれも来ませんでした」

ところが、1ヶ月くらいして渡辺商店の再開が知れわたると、連日お客さまであふれるようになったといいます。

「朝7時半ごろに来ると、すでに店の前でお客さんが列を作っているんです。作業車両が中心でしたが、それだけ需要があったのですね。でもうちは給油機1台しかありません。どうにかその1台を上手に使う方法を考えて、想像を超える出荷量になってもなんとか回せる形を作り上げました」

そのころの浪江町はまだ避難区域で、昼間の立入りはできても宿泊は禁止。それでも町の再興のため、同業のガソリンスタンドをはじめ製造・建設などの事業者がぽつぽつと再開していましたが、まだ小売店や飲食店はゼロの状態でした。ジュース1本買う場所もなかった中で、渡辺さんは再開と同時に飲み物の自販機を設置。問屋と掛け合って1本100円で販売し、お客様に喜ばれたといいます。翌月にやっと、昼間のみ営業のコンビニが1軒オープンしましたが、当時の町内再開事業者のみなさんは、本当にご苦労なさったことでしょう。

筆者も当時の町内を覚えていますが、震災で倒壊した建物が残り、歩道には雑草が生い茂る廃墟のような町並みの中に、渡辺商店さんの赤い「営業中」の看板を見つけると、涙が出るほどほっとしたものです。

2015年1月の町内
▲2015年1月に撮影した商店街の一部▲

再開から約1年、渡辺さんはお子さんの中学卒業を機に埼玉からいわきに引っ越して、通勤時間は1時間に短縮されました。その間も浪江の復興は少しずつ前進を続け、町の中は作業車両だけでなく一時帰宅の町民や一般人の車両も少しずつ増えていったといいます。

ただ、当時はまだ町内を走るメインの国道から商店街へ入る道にはゲートが設置されており(盗難防止などのため)、通るには通行証が必要でした。

「でもうちが営業していることを聞きつけた人から、どうやって行けばいいのか、と電話がかかってくるようになったんです。当時は、ここから南も北もしばらくスタンドがなかったですからね。そこで、ゲートから見える『あのスタンドでガソリンを入れたい』という人は通行証無しでも通してくれ、と掛け合いました。でないと営業妨害で暴れるぞ!とおどかして(笑)」

渡辺さんの主張は無事認められ、このあたりを通行する一般の人もみな安心してガソリンを補給できるようになったのでした。

町に戻った皆さんに便利に使っていただける店づくりを

2017年3月末、町の一部が晴れて避難指示解除となり、再び人が住めるようになりました。とはいえ6年にもわたる避難のあと、それほどすぐに人口は戻りません。自身もいわきから通っている渡辺さんは、「他の拠点と行ったり来たりの人が多く、浪江に常住という人はまだ少ないのではないか」といいます。そんな中、渡辺商店の経営環境にも変化が。

「最近は事業系が格段に減り、現金払いの一般のお客さまが増えました。復旧や除染がピークだった一時と比べて売上は下がり、他方で従業員の確保は大変です。正直厳しいところはありますが、今後も事業者さんとのお付き合いを大事にするとともに、町に戻った、あるいは戻ろうとしている皆さんに便利に使ってもらえる店づくりをしていかないといけないと思います。例えば、洗車。この辺には(コイン洗車ではなく)手で拭き上げまでしてくれる洗車サービスがまだないんですよ。きれいに洗ってほしいというお客様が増えてきているので、それを整備していきたい」

そして、浪江の将来についてはこんなふうに。

「先日亡くなった馬場町長は、これからの浪江をこうしていきたいという構想をお持ちだったと聞いています。町の将来のビジョン実現を、この仕事を通じて少しでも手助けができればと思っています」

渡辺良一さん

この日も忙しく店を切り盛りする中で取材に応じてくださった渡辺さんには、営業再開5年目をお祝いして、晩酌のお供にいかりや窯の酒器セットをプレゼント。大堀相馬焼の思い出について伺うと、こんな話をしてくださいました。

実は渡辺さんのお生まれは埼玉県ですが、ご両親のご実家が浪江町の谷津田だそう。小さいころおじいさまの家に遊びにいき、そこで初めて見た器が大堀相馬焼だったそうです。

「大堀相馬焼の湯呑は二重になっているでしょう。子供心に『すげえな、これ!どうやって作るんだろう』と、とても不思議に思いました。それから、どうしてこんなにヒビ割れてるんだろうって*(笑)。それが第一印象でしたね」

*大堀相馬焼の特徴の一つが、「青ひび」です。素材と釉薬との収縮率のちがいから、焼いたときの陶器の表面に細かい亀裂が入り(貫入=かんにゅう)、これに墨汁をすり込んで際立たせたものが「青ひび」です。

この酒器も徳利、猪口ともに丁寧な二重焼きで作られており、一面に細かいひび(貫入)が入っています。子供のころの「不思議」を思い起こしていただけたでしょうか。

いかりや窯酒器

先陣を切って浪江に戻り、以来、町が少しずつ元の姿を取り戻していくのを見つめ続けてきた渡辺さん。復興のステージが変化するにつれ、渡辺商店の経営も変化していくかもしれませんが、地域になくてはならないガソリンスタンドとして、町民はじめ浪江を訪れる人々を支える存在であり続けてくださるよう、願っています。

(取材・文・写真=中川雅美 2018年7月)

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