大堀相馬焼コラム

きっと馬九いく!大堀相馬焼は浪江のみなさんと共に(4) 松本秀夫さん

第4回:松本秀夫さん
松本畳店 代表 

浪江町大堀地区に受け継がれてきた伝統工芸品「大堀相馬焼」。日常使いだけでなく、左馬(右に出るものがいない)、九頭馬(馬九行久=うまくいく)の絵柄は、縁起物として開店祝いなどの贈答にも用いられ、喜ばれてきました。このシリーズでは、少しずつ活気を取り戻しつつある浪江町でお店を再開したり事業を開始したりしているみなさんをお訪ねし、抱負を伺います。

今回は、2017年1月に営業を再開、町内唯一の畳店さんとして住宅の修繕・リフォームの需要に応える、松本畳店・松本秀夫さんをお訪ねしました。

01松本さん

お客様に「辞めるな」といわれて

カタン、カタン、カタン、カタン・・・

浪江町権現堂の松本畳店の暖簾の向こうでは、松本秀夫さんが畳に縁を縫い付ける作業をしていました。イグサのいい匂いが漂ってきます。昔、畳職人さんといえば太い針を肘で押し込む姿がトレードマークのようでしたが、いまでは機械がやってくれるのだそう。

「でも技能検定試験じゃ、いまでも手でやるんだよ」といいながら、手早く操作する松本さん。

東日本大震災と原発事故による全町避難で、ほぼ6年間、休業せざるを得なかった松本畳店は、2017年1月に本格的に営業を再開しました。その3月末に町の一部で避難指示が解除されることになり、一気に増えた住宅の修繕・リフォーム需要に応えるためです。以前は町内に5~6軒あったという畳店ですが、いまはもう松本さんだけ。「震災前よりよっぽど忙しいよ。いくら機械を使うといっても、全部の作業をひとりでやるんだから」と笑います。

避難指示解除からまもなく1年半。まだ町民の帰還率は高くありません。でも、近い将来には残してきた自宅に帰ろうという人も増えているのでしょう、松本さんのところには「いつでもいいから(畳を)直しておいてくれ」という依頼が多いそうです。

しかし当の松本さんのご自宅は、地震で半壊と認定され、やむなく取り壊してしまったとのこと。いまは南相馬に新しく購入された自宅から通っていらっしゃいます。

「ここに新居を設けたのが昭和54(1979)年。努力して借金して作ったんだ。小さい家だけども我が家だからね。(解体したのは)もったいなかったと思うがな」02暖簾

そういってちょっと寂しそうな松本さんは、15歳でこの道に入り、以来56年畳ひとすじの職人です。「当時は高校に行くなんてのはひと握り。中学を出たら親が子供の仕事を決めた時代だった」といいます。住み込みの丁稚奉公からスタートした修業時代。独立し、32歳で手に入れた「我が家」には、ご家族との楽しい思い出もたくさん詰まっていたことでしょう。それを、原発事故による避難で、手入れもできずに解体を選ばざるを得なかったとは・・・。心中をお察すると言葉がありません。

松本さんは大震災の直後、避難先をいくつか点々としましたが、同じ年の夏には南相馬の同業者のところで畳の仕事を再開されています。その勤め先に2016年末での退職を申告したときは、実はもう引退するつもりだったとか。

「そしたら周りのお客さんが(畳の仕事を)辞めるなって(笑)」

その声に押され、70歳にして浪江での再開を決心した松本さんはいま、「仕事がある以上は、身体の続く限りやりたい」とおっしゃいます。

フルネーム入りの畳店暖簾に込められた思い

そんな松本さんには、畳店の再開をお祝いして半谷窯のコーヒーカップをプレゼントしました。地には大堀相馬焼の特徴である細かい「ひび」(貫入)が入り、外には半谷窯の特徴である椿の紋が描かれています。カップを手に、最高の笑顔の一枚を撮らせていただきました。

03カップを持つ松本さん

「うちにも二重焼きの湯呑や、馬の絵*の大きな皿とかあったねえ。そういえば、家内の親族が埼玉の方から陶芸教室の人たちを連れてきて窯元を見学したいっていうので、大堀を案内したこともあったなあ」と懐かしそう。 (*二重焼き、走り駒はいずれも大堀相馬焼の特徴です)

浪江町内では、飲食店は増えてきたものの、まだスーパーなどは再開していません。毎食外食というわけにもいかない居住者にとっては、食材が買える場所がないのは不便なところ。松本さんは、「そういうお店が増えれば、町に帰る人も増えるのでは」とおっしゃいます。毎日お一人で南相馬から通っていらっしゃる松本さんに、お昼ごはんはどうしていらっしゃるのか伺ったところ・・・

「そりゃ、愛妻弁当だよ」

というお答え。ごちそうさまでした!食後にはぜひこの椿紋カップで一服していただければ幸いです。
04半谷窯カップ

ご自分で浪江に自宅を再建するのはもう難しいけれど、「息子たちが浪江に家を建てて一緒に住もうか、なんてことになれば、個人的には浪江に来たいけどもな」と語る松本さん。その息子さんが、営業再開と古希のお祝いを兼ねて贈ってくれたというイグサ色の暖簾には、「松本畳店」」ではなく「松本秀夫畳店」と、フルネームが入っています。縁起物の大堀相馬焼のお祝いも、お父様を誇りに思う気持ちにあふれたプレゼントの前では、少々かすんでしまったのでした。

(取材・文・写真=中川雅美 2018年8月)

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