大堀相馬焼コラム

きっと馬九いく!大堀相馬焼は浪江の皆さんと共に(9) 大清水一輝さん

第9回:大清水一輝さん
居酒屋こんどこそ

浪江町大堀地区に受け継がれてきた伝統工芸品「大堀相馬焼」。左馬(右に出るものがいない)、九頭馬(馬九行久=うまくいく)の絵柄は、日常使いだけでなく縁起物として開店祝いなどの贈答にも用いられ、喜ばれてきました。このシリーズでは、少しずつ活気を取り戻しつつある浪江町でお店を再開したり事業を開始したりしているみなさんをお訪ねし、抱負を伺います。

今回は、今年9月5日に満を持して営業を再開した「居酒屋こんどこそ」店主の大清水一輝さんをご紹介します。

01店の前で

お客様の笑顔を見るのが楽しい

「利益だけを追求するなら、福島や郡山といった都市部で新たに店をやった方がいいに決まってます。でもそれじゃ私にとっては意味がなかった」

浪江町権現堂。「居酒屋こんどこそ」の真新しい店内を訪ねると、若き店主の大清水一輝さんはそうおっしゃいました。東日本大震災と原発事故から7年半。再開にあたって内装はすべて刷新し、以前のままなのはケヤキの一枚板でできたカウンターだけだそうです。

「お客様が座って、あぁ懐かしいっておっしゃるのはこのカウンター席だけですね(笑)」

02カウンター

もっとも、現在のお客様は以前の店内を知っている人ばかりではありません。ランチ営業も始めた新生「こんどこそ」には、大勢の復興工事関係者や作業員の方が空腹を満たしに訪れています。人気の定食メニューは焼き魚や煮魚など日替わりで4種類。昼も夜も通して提供しており、お酒を飲まなくとも晩ご飯だけ食べにいらっしゃる方も大歓迎だそうです。

「そうした作業員の人たちが笑顔になってくれることが最高に楽しい。だって、実質的にいま町を作ってくれているのは彼らですからね。ここでほっと一息ついて笑顔になって、また明日もがんばってほしいんです」

もっとも町内の帰還人口はまだ少なく、客数はまだ目標の半分だとか。しかし「採算が厳しいのは想定内。その大変さも含め、楽しくてワクワクする」と言い切るその笑顔は、決して開き直ったやけっぱちの笑いではありませんでした。それもそのはず、一輝さんは避難当初からいつの日か浪江での再開を心に決め、そのために着々と準備をしてきたのです。

03店舗看板

「必ずまた浪江で」の夢

高校卒業後、一度は名古屋で就職した一輝さんが、浪江に帰ってご両親が営む「居酒屋こんどこそ」を手伝うようになったのは、まだ20代前半のことでした。昼間は隣町の測量会社で働き、夜の営業を手伝いながら、いずれは店を継ぐ予定だったところへ大震災。ご両親は早くもその年の10月に、避難先の二本松市で「居酒屋こんどこそ」を再開させています。当時、役場も含めて浪江町民の最大の避難先だった二本松で、みんなが集まれる場所をという願いに応えたのでした。

震災直後からしばらくご両親と別行動だった一輝さんは、1年間ほど以前の測量会社に請われて勤めた後、二本松に来てご両親と合流。再び親子で「居酒屋こんどこそ」を営むことになりました。しかし、冒頭の言葉どおり、一輝さんの浪江への思いは確固たるものがあったのです。

「当時はまだ、浪江がこの先どうなるのか全く見えない状態でしたが、私はどんな形でもいいから町で何かをやって、少しでも町の力になりたいと思っていました。それに、そう遠くない将来、必ず浪江の避難指示は解除されるという確信があったんです。理由は、いま支払われている多額の賠償金というものが、永遠に続くわけがないと思ったから。同じ日本国内で他にもいろんなことが起きています。自分たちだけがいつまでももらっているわけにはいかないでしょう」

この言葉の裏にはどれほどの覚悟が隠されているか。あらためて感じさせられます。

果たしてその避難指示は、震災から6年後の2017年3月末ついに解除となります。大清水家では、二本松の店をご両親が続け、一輝さんが浪江に戻って店を再開する準備を本格化しました。従業員確保が最大の課題ともいわれる中で、「浪江店の再開の半年前から2人を雇用して二本松店で修業してもらい、さらにその2年前から、二本松店で私の後任となる人も育ててきた」という周到ぶりです。

そして、ついに2018年9月5日、浪江の「居酒屋こんどこそ」に再び暖簾が掲げられたのでした。

新しい町にたくさんの笑顔を

今年、待望の第一子も誕生した一輝さんには、お仕事とプライベート両面の新しい門出をお祝いして、京月窯(近藤京子さん)の夫婦湯呑をお贈りしました。

04湯呑アップ

二重焼き、青ひびに走り駒で、一輝さんは一目見て「(正統派の)ザ・相馬焼ですね」とお分かりになりました。ただ、よく見ると女性窯元らしく馬の絵にも柔らかさがあり、外側に開いた穴のかたち、ひびへの墨の入れ方なども特徴があります。窯元によってさまざまな個性がある伝統的工芸品です。

「うちでも以前、箸置きや徳利、猪口など大堀相馬焼の器をたくさん使っていたんですよ。でも、店のリフォームにあたって(7年も放置状態だった)食器はすべて処分せざるを得ませんでした」

05湯呑を持つ大清水さん

一輝さんは今後の浪江町について、「元からの町民だけでなく、むしろ新しい人が来て、新しく作る町であっていいと思う」とおっしゃいます。その中で「居酒屋こんどこそ」は、どなたでも、ここでおいしいご飯を食べて、笑顔になっていただけるお店を目指すと。店内にまた大堀相馬焼の器がひとつずつ増えていくとともに、大切なお客様の笑顔も増えていきますようにお祈りいたします。

(取材・文・写真=中川雅美 2018年10月)

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