大堀相馬焼コラム

第3回 大堀相馬焼の現状|江戸時代の大堀相馬焼、復刻までの歩み。 

2016年、松永窯は約300年前に使われていた大堀相馬焼を現代に復刻しました。

 

 

約300年前、江戸元禄時代の大堀相馬焼をどうやって現代に甦らせたのか。なぜこのようなことを行ったのか。今回から約1ヶ月にわたり、お伝えしていきます。

第1回 まほろんでの出会い

第2回 文化隆盛の時代、元禄

 

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大堀相馬焼の現状

早速、松永窯に試作の依頼をするも、あっさりとできないと断られてしまいました。

 

その理由は「ろくろの技術が高すぎて現状では研究開発している時間がない」とのでした。
松永窯は再建したばかりで、元禄期の相馬焼の研究開発をしている時間はないのも無理はありませんでした。

 

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大堀相馬焼は一子相伝的で子供や親戚のみで営んでいました。
「福島」という範囲でなく、「浪江」さらには「大堀」関係者でないと…みたいな雰囲気がそこには漂っておりました。

 

益子・笠間に技術を伝え、東日本一の産地まで誇ったと言われたのも昔ですが、バブルを絶頂にだんだんと産地の売上規模が縮小していく中、 震災前は行政や地元有力企業の注文により、「普通に食える」状態であったため「ぼちぼち」運営はできる状態でありました。

 

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ただ、その「ぼちぼち」感は産地には「作ってさえいれば良い」という感覚に陥り、結果的に新規性は失われました。

 

外部からの新しい風はおろか、若い後継者が活き活きと活動できる風土もなくなり、後継者は減りさらに窯元も減っていきました。

 

そこに震災が起きました。
25件あった、窯元は離散し現在は福島県内外に10件の窯元が再建しています。

 

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第4回 福島県ハイテクプラザでのヒアリング に続く)

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江戸元禄期 大堀相馬焼販売ページ

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