大堀相馬焼コラム

松永窯で修業中!大堀相馬焼職人を目指す富山県出身の村田あいりさん

松永窯は、技術伝承のための人材育成にも力を入れています。2015年より陶芸を志す大学生インターンを受け入れてきたほか、2018年からは地域おこし協力隊として大堀相馬焼の職人を目指す若者たちに、研鑽の場を提供してきました。その中の一人、2021年4月に着任したばかりの村田あいりさん(20)をご紹介します。

―― 大堀相馬焼に出会うまでの経緯を教えてください。

生まれは富山県です。子どものころから絵を描くのが好きで、高校では美術コースに進みました。本当は空間デザインに興味があったのですけど、あまり高い評価は取れなくて、逆にAをもらったのが粘土を使った造形だったんです。それで、奈良芸術短期大学で陶芸を学ぶことに決めました。

大学では、主に手びねりでオブジェを制作していました。ロクロよりも手びねりのほうが自在に形を作れるからです。思い切り自分の個性を出して、他のどの学生のものとも似ていない作品づくりを目指しました。

▲在学時代の村田さんの作品のひとつ。

▲在学時代の村田さんの作品のひとつ。

大学は奈良でしたから、就活も関西エリアで陶芸の仕事を探したのですが、ちょうど新型コロナの感染拡大真っ最中で、なかなか見つからなくて。そんなとき、ネットに「陶芸の職人候補を募集中」という広告が流れてきたんです。たまたまクリックしたら、浪江町の地域おこし協力隊の募集でした。

それまで大堀相馬焼って知らなかったし、大学の先生に聞いてもよくご存じないようでした。福島に行くとなれば実家がある富山から遠くなってしまうこともあり、親にも最初は反対されたんです。でも、ここなら自分のやりたいことができそうと思って応募しました。

―― 協力隊員として着任3か月。毎日どんなことをしていますか?

いまのところ、松永窯(西郷村)と錨屋窯(白河市)で1週間ずつ、隔週でお世話になっています。松永窯では、定番の箸置きなど小さいもののほか、特注品の花瓶を手びねりで制作しているところです。

逆に私はロクロが苦手なので、先輩の吉田直弘さん(2021年3月末に地域おこし協力隊を卒業、現在は職人として松永窯で制作にあたる)のロクロ成形を見ながら勉強中です。吉田さんは作業スピードがものすごく早いんですよ。自分も(協力隊任期が終了する)3年後にあんなふうにできるようになるのか不安ですけど、がんばります。

走り駒の絵付けはまだ挑戦していません。実際の馬を見て筋肉の形を模写してみたりしましたが、やっぱり難しいですね。筆で滑らかに描くのはなおさら難しい。これから窯元さんたちに直接教わる機会もあるかと思うので、練習あるのみです。

―― 大堀相馬焼の故郷である浪江町大堀には行かれましたか?

はい。協力隊に応募して、面談の段階で浪江町に連れていってもらう機会がありました。実は私、10年前の東日本大震災の記憶はほとんどないんです。富山でも少し揺れたので、小学校の授業中にボンと縦揺れが来たのを覚えているくらいかな。

原発事故のことも正直よくわからなかったのですが、そのときの浪江訪問で初めて(帰還困難区域である)大堀がどうなっているのかを知りました。もともと松永窯があった場所では、廃屋のような建物の中の器たちがそのまま残っていて、本当にここで作品を作って販売していたんだなと・・・

―― 将来の目標について聞かせてください。

職人として生計が立てられるようになるのはもちろんですが、将来は自分のアトリエを持ち、カラフルでかわいいアクセサリや雑貨、小さめの食器とかをつくって、自分のオンラインショップなどで販売したいなと思っています。

大学のとき、文化祭で陶製のブローチやピアスなどを作って発表したら好評だったんです。つるんとしたガラスもかわいいけれど、陶器は釉薬によってとろみや貫入(ひび)など独特の風合いを出すことができておもしろいんですよね。だから、いろんな釉薬の実験もしていきたいし、軽くてかわいいものを作るためには薄く作る技術も身につけないといけません。

大堀相馬焼の二重焼を初めて見たときは驚いて、一体これどうやって作るんだろう?と思いました。二重焼は薄く作る必要があるので、いずれはその技術も修得して、二重焼の新しい作品なども作れたらいいですね。

(2021年6月取材)

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