大堀相馬焼コラム

きっと馬九いく!大堀相馬焼は地域の皆さんと共に(14)吉田知成さん

第14回:吉田知成さん
株式会社伊達屋 代表取締役

浪江町大堀地区に受け継がれてきた伝統工芸品「大堀相馬焼」。左馬(右に出るものがいない)、九頭馬(馬九行久=うまくいく)の絵柄は、日常使いだけでなく縁起物として開店祝いなどの贈答にも用いられ、喜ばれてきました。このシリーズでは、少しずつ活気を取り戻しつつある浪江および近隣の町で事業を再開している方々をお訪ねし、抱負を伺います。

今回は、2017年6月5日に浪江の南隣、双葉町でガソリンスタンド伊達屋の営業を再開した吉田知成さんをご紹介します。

01吉田さん

一度は諦めた双葉町で店を再建

「いらっしゃいませ!」

給油機の前で車を停めると、元気のいい声とともにユニフォーム姿の男性が駆け寄ってきます。スタンドの中では他にも数人のスタッフが、次々とやってくる車両を相手に忙しく働いていました。この光景だけ見れば、ここが「帰還困難区域」という特殊な場所であることなど忘れてしまいそうです。

明治創業の燃料店「伊達屋」5代目の吉田知成さんは、2017年6月5日、まだ誰も住むことができないここ双葉町でガソリンスタンドを再開しました。知成さんのお祖父さまが昭和40年代に開設し、ながらく町民に親しまれてきたこのスタンドは、8年前の東日本大震災当日も夜を徹して避難車両に給油を続けたといいます。

02スタンド全景

しかし、その後の全町避難で6年以上も営業休止。震災当時はまだ東京でサラリーマンをしていた知成さんが、双葉に戻って伊達屋を継ぎ、店を再開することを決意するまでに、どれほどの葛藤があったことでしょうか。

それを伺うと、「いや、いずれは戻って家業を継ぐつもりではあったので、それが震災で早まっただけのことですよ」。

穏やかな笑顔でさらりとおっしゃいましたが、当時3歳のお子さまと奥さまを東京に残し、営業再開のためいわきに単身赴任と伺うだけでも、これまでのご苦労は想像に難くありません。もちろん、店再開に至るまでには設備の復旧はもちろん、除染の徹底や従業員の確保など、数多くの試練を乗り越えてこられたのでした。

実は震災翌年、一度は双葉への帰還を諦めて東京に家を購入したという知成さん。その気持ちを逆転させたのは、双葉高校時代の同級生の一言だったといいます。双葉町周辺で除染や復興工事が本格化して燃料の需要が高まり、伊達屋の当時の社長だったお父さまへ、町から営業再開の打診が来たころのことです。

「打診されても、父は年齢のこともあってなかなか決心がつかなかったんですね。そこへ、別の方面から私にガソリンスタンドをやらないかと声をかけてきた元同級生がいました。震災後に横浜へ避難していた彼は、それまで勤めていた大企業を辞め、専門学校に入って難しい国家資格を取得した後、一人でいわきに戻って会社を作ったんです。最初に事務所を訪ねたら、元スナックだったという店のテーブルにパソコン1台置いて、彼がぽつんと座っていたのを鮮明に覚えています」

そのときは友人の将来を心配した知成さんですが、次に新しい事務所を訪ねたときには、もう15人くらいの従業員がいたのだそう。2年足らずでの成長ぶりに驚いたといいます。そこで知成さんは、こう言葉をかけられたのでした。

「いまこの地域にはこれだけのビジネスがあるんだ。双葉に戻って燃料の仕事をやらないか。生まれ故郷の復興のために、一緒にやろうぜ」

03店名の前で

一緒に新しい町をつくる仲間たちがいる

ガソリンスタンド再開から1年半あまり。当初は給油だけだったのが、タイヤ交換、オイル交換などのサービスも可能になり、営業時間も伸び、5名でスタートした従業員は二けたまで増えました。

復興の現場を動かしている重機や作業車両に欠かせない燃料。伊達屋は、目の前の国道6号を走る一般車両へのガソリン給油だけでなく、そうした工事現場へ燃料を配達するという、大切な役割を担っているのです。

そんな伊達屋のますますの発展をお祈りして、今回は京月窯(近藤京子さん)の夫婦湯呑みをお持ちしました。縁起の良い左馬と青ひび、二重焼きの伝統スタイルです。ご覧になると、「まさにこれですよ」と知成さん。

04湯呑アップ

聞けば双葉町のご実家の食器棚には、お母さまがお好きだった京月窯の食器も多かったのだとか。浪江町民の家庭には必ずあった大堀相馬焼ですが、お隣り双葉町でも同様にポピュラーだったようです。

「双葉高の同級生には窯元の息子さんがいて、よく遊びに行きましたよ。大人になってからは妻と一緒に遊びに行って、作陶体験させてもらったこともあったなぁ」

しかし、残念ながらご実家にあった食器類は8年前の地震でめちゃくちゃに。家そのものも損傷が激しく、解体を待つ状態だそうです。実際、町内ではさまざまな建物の解体撤去が進み、「見える景色がどんどん変わっていく」といいます。ここに再び人が住めるようになるまでにはまだ時間がかかりますが、知成さんは「元の町を再生するというより、新しい人が来て新しく作る町であっていい」とおっしゃいました。

05湯呑を持つ吉田さん

「いろいろな事業が行われているこの地域では、新しい需要も次々生まれています。それをうまくビジネスにつなげ、みんなで盛り上げていければいい。地元に帰ってきてみたら、同じような考えを持つ同年代の経営者がたくさんいることを知りました。こういう仲間がいることは本当にありがたいし、刺激になりますね」

燃料供給という面から地域の復興を支える伊達屋ガソリンスタンドには、今日も知成さんたちの元気な声が響いています。

(取材・文・写真=中川雅美 2019年2月)

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