大堀相馬焼 松永陶器店

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【社長ブログ】地縁・血縁の限界について

先日のラグビーWカップ、日本代表が南アフリカに劇的勝利!
ラグビーを知らない私でも大変盛り上がったわけですが、こんな記事を見て、ふと思ったことを書きます。

ラグビー代表「外国出身」なぜ? メンバー入りの3要件(朝日新聞デジタル)
http://www.asahi.com/articles/ASH9Q4TFBH9QUTQP01X.html

これは今後、相馬焼だけでなく伝統的工芸品、ましてや地域というものに関わる人に大きく関わるのではないかな、と思います。

なぜか日本の地域発のものは「地域」というものにこだわる傾向があり、結果的に本来の良さを失う可能性があります。
例えば福島県産の商品の発信は福島県出身、あるは福島に住んでいる人たちが行うべきだ、という発想です。

それの最たる例が実は大堀相馬焼であり、相馬焼は一子相伝的で子供や親戚のみでやっておりました。
「福島」という範囲でなく、「浪江」さらには「大堀」関係者でないと。。みたいな雰囲気がそこには漂っていました。

益子・笠間に技術を伝え、東日本一の産地まで誇ったと言われたのも昔ですが、バブルを絶頂にだんだんと産地の売上規模が縮小していく中
震災前は行政や地元有力企業の注文により、「普通に食える」状態であったため「ぼちぼち」やっていけました。

ただ、その「ぼちぼち」感は産地には「作ってさえいれば良い」という感覚に陥り、結果的に新規性は失われ、外部からの新しい風はおろか、若い後継者が活き活きと活動できる風土もなくなり、後継者は減りさらに窯元も減っていきました。

そこに震災が起きました。

もちろん一子相伝の良さもあります。福岡の小石原焼も一子相伝で脈々と受け継がれている良さがあります。
ただ、小石原焼は元々成功していて、そこから現代的な挑戦でうまくいっていたということがあります。

大堀相馬焼のように

・あまり全国的に有名でなく、生産規模も小さい
・震災で一度壊滅的で、もはや土地の定義がない、再度ゼロからのスタート

の場合は地域性にこだわりすぎると本当に強いサービス商品が作れない。と思っています。

 

●じゃあ何を持って相馬焼といえるのか?

この仕事をはじめてから、相馬焼は相馬地方でつくるべき論によく遭遇しますし、もっと地元で根ざすべき論があります。
浪江町には帰れない今はあえて「地域性」に囚われずチャレンジすべきでないのかと、私は思います。

では何を持って相馬焼といえるのか、と言えば、もはやそれは地域性に囚われない新しいものを作っていくしかないと思っています。
「馬の絵」「二重焼」「青ひび」という他の焼き物にはないギミック多さを消して、絞っていくのがベストが一番かなと思っているのが個人的な感想です。

●私たちはどうしているのか?

基本的に僕は東京といったりきたりしていますし、広報のメンバーはほぼ東京在住です。
最近、入った福島在住のスタッフも大阪からきました。

とにかく外部の血をどんどん入れるべく、地域を失ったからこそ、地縁・血縁に頼らず失ったなりの挑戦をしようと思っています。

 

風景

写真は大堀相馬焼があった「大堀地区の原風景(2009年ごろ撮影)」

 

(代表 松永)