大堀相馬焼 松永陶器店

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きっと馬九いく!大堀相馬焼は地域の皆さんと共に(18)村澤永行さん

第18回:村澤永行さん
漁師(相馬双葉漁業協同組合 請戸支部)

1>村澤さんと船

浪江町大堀地区に受け継がれてきた「大堀相馬焼」。左馬(右に出るものがいない)、九頭馬(馬九行久=うまくいく)の絵柄は、縁起物として開業祝いなどの贈答にも用いられ、喜ばれてきました。このシリーズでは、徐々に活気を取り戻しつつある浪江および近隣の町で事業を再開している方にお話を伺います。

今回は、2017年2月に一部復旧した請戸漁港から試験操業に出航している、村澤永行(むらさわのりゆき)さんをお訪ねしました。

絶対にまた船に乗ると決めて

浪江町・請戸(うけど)漁港の船着き場で、待ち合わせていた漁師の村澤永行さんとお会いしました。トラックの運転席から降りて来たのは、柔和な笑顔の男性。肌こそ日焼けしておられるものの、なんとなく「海の男」の荒っぽいイメージとは違います。係留されたご自身の船を指し、穏やかな声で「あれが幸玉丸」と教えてくださいました。

2011年の東日本大震災で、請戸漁港は甚大な被害を受けましたが、岸壁など港湾施設の一部は6年後に復旧。さらに、荷捌き場や水産加工団地の建設も進んでいます。現在、ここから週2回の試験操業に出漁しているのは、28隻ほど。村澤さんの幸玉丸も、そのなかの一隻です。

2幸玉丸

「この船は大震災の6年くらい前に新しく建造したんだ。じっちゃん、親父に続いておれは漁師の3代目。それまでの船は4トンと小さくて、できる漁の種類も限られていた。そこで、思い切って二回り大きい6トン船を作ることにしたんだよ」

順調だった仕事は大震災で一変します。当日、村澤さんは午前中で漁を終え、午後からは用事で港を離れていました。午後2時46分に地震発生。続く大津波。幸い、南相馬市小高区にあるご自宅は高台のため無事でしたが、請戸一帯は壊滅状態に。沖に出て船を守ることができた漁師は一握りだったといいます。

「当日は(港に戻るのは)間に合わなかったんだ。船が心配で翌日見に行ったら、請戸の共同墓地の側に乗り上げてるのが、遠くから見えた」

波に運ばれ、あらぬ場所に置き去りにされた無残な船の姿は、大震災後の報道写真でも数多く伝えられてきました。が、自分の船のそんな姿を目の当たりにした漁師さんの心中とは、どんなものだったか。その痛みは想像すらできません。そしてまもなく村澤さん自身も、原発事故による長い避難生活を余儀なくされたのです。

それでも村澤さんは決して諦めませんでした。「絶対にまた船に乗ると決めていた」といいます。

請戸を管轄する福島県相馬双葉漁協は、2012年から試験操業という形で小規模な漁を再開。村澤さんも避難先から相馬市の原釜港に通い、はじめは友人の船に乗って仕事を再開しました。その後、陸に取り残されていた幸玉丸は修理すれば使用可能と判断され、解体・移送して修復を完了、2015年にやっと再び海に帰ることができたのです。

そして2017年には、一部復旧の終わった請戸港へ帰還。同じころ、避難の間に獣害で荒れてしまったご自宅の修繕も終え、現在はまた元のように小高から請戸に通って漁を続けています。

海に出られればいい。そうやって一歩ずつ進んでいく

今回、村澤さんへお贈りした品はこちら。半谷窯(半谷貞辰・菊枝さん)のカップです。

3半谷窯カップ

「神棚の榊立てが大堀相馬焼だったなぁ。あれ、大堀相馬焼って、馬の絵が描いてあるものだと思っていたけど・・・」

大堀相馬焼はたしかに馬の絵(走り駒)が伝統ですが、窯元たちは昔からそれぞれ独自の新しいスタイルも打ち出しています。半谷窯のオリジナルといえば鮮やかな椿の絵柄がトレードマークのひとつですが、こちらは内側に小さなクローバーが描かれた、モノトーンのシックな作品。少し凹んだ部分に指がなじみ、焼酎のお湯割りやロック、冷酒もよさそうです。お仕事の後、ぜひお好きなお酒で楽しんでいただければ幸いです。

4カップを持つ村澤さん

大震災を機に廃業・転職した仲間も少なくない中、海に戻るのを「迷ったことはない」という村澤さん。「実は福島市に避難していたとき、別の仕事を紹介されたこともあったの。でも、やっぱりオカ(陸)の仕事はダメ。1週間ももたなかったな(笑)」と振り返ります。

試験操業が始まって7年。安全が確認された対象魚種は大幅に増えました。また、建設中の荷捌き場などが完成して、現在は水揚げ後に相馬へ陸送してセリにかけている魚を請戸から直接出荷できるようになれば、築地で高級活魚の代名詞だった「常磐もの」が復活します。

とはいえ、週2回だけの試験操業から「本格操業」に戻れるのは、一体いつなのか。まだメドは立っていません。震災前は100隻以上の漁船、400戸以上の家が並んだ漁師町・請戸にかつての面影はなく、漁業者たちは今でも「先の見えない」苦痛を背負っているのです。

5整備が進む港湾施設
▲施設整備が進む請戸漁港(2019年6月撮影)

それでも村澤さんはこう言います。

「試験操業でもなんでも、海に出られればいい。そうやってこれからまた一歩ずつ進んでいけばいい。だから先のことは言わねえ。今やっていることをやり続けていけば、だんだん前へ進んでいくんじゃねえかと思って、やっていくしかないんだ」

悲しさも悔しさももどかしさもすべて飲み込んで、静かに語る村澤さんの、生きる覚悟をひしひしと感じた取材でした。お言葉どおり一歩ずつ前進を続けた先に、再び請戸の、浪江の、福島の漁業の完全復活が待っていることを願います。

(取材・文・写真=中川雅美 2019年8月)