お知らせ
きっと馬九いく!大堀相馬焼は浪江の皆さんと共に(10)豊嶋宏さん
第10回:豊嶋宏さん
豊嶋歯科医院 院長
浪江町大堀地区に受け継がれてきた伝統工芸品「大堀相馬焼」。左馬(右に出るものがいない)、九頭馬(馬九行久=うまくいく)の絵柄は、日常使いだけでなく縁起物として開店祝いなどの贈答にも用いられ、喜ばれてきました。このシリーズでは、少しずつ活気を取り戻しつつある浪江町で事業を再開している方々をお訪ねし、抱負を伺います。
今回は、2018年8月1日に浪江町権現堂で診療を再開した町民待望の歯科医院、豊嶋歯科の豊嶋宏さんをご紹介します。
“健口”を守る、まちの歯医者さんの再開
「たとえば肉食動物は、食べられなくなったらもう死ぬしかないでしょ。食べ物を身体に取り入れるための入口である歯は、そういう意味では内臓よりも重要な臓器なんです。みんな無くなるまで気がつきませんけどね」
そうおっしゃる豊嶋歯科の豊嶋宏院長は、今年(2018年)65歳。「私はもちろん全部、自分の歯ですよ。自分の歯で食べられるというのは何より大事」と、口内の健康=“健口”の大切さをお説きになります。
現在の町内居住者の4割超が高齢者(65歳以上)という浪江町にあって、医療機関の重要性は言うまでもありません。町は2017年3月末の一部避難指示解除に合わせて町営診療所を開設し、内科・外科の診療を行ってきました。そして1年4か月後の2018年8月、民間の医療者として初めて、豊嶋歯科医院が診療を再開したのです。高齢者にとっての義歯(入れ歯)の調整などは、まさに「食べられるかどうか」に直結する問題ですから、待望の「まちの歯医者さん」再開だったのでした。
大震災・原発事故の後、福島市や只見町を経て、北海道新ひだか町で歯科医としての仕事を続けてこられた豊嶋さん。「いつかは浪江にもどって仕事がしたい」という思いを持ち、年に2~3回は北海道から浪江に帰って、お墓参りはもちろんご自宅の手入れも続けてきたそうです。しかし豊嶋さんは、避難指示解除が決まったら無条件で帰還を決めたわけではありませんでした。
歯科医院は人口3,000人あたり1軒程度が適正といわれるところ、避難指示解除から1年たっても町内の居住人口は500人足らず。「帰還人口がどのくらいになるかを見極める必要があった」とおっしゃる豊嶋さんですが、それでも悩んだ末、豊嶋歯科医院のドアが再び開かれることになったのです。
遠くからも来院する患者さんたち――「再開してよかった」
そのドアを入ると、明るい待合室の内装も診療設備もすべて真新しく、以前は黄色だったという外壁も明るいブルーに生まれ変わっています。大きな決断をされた豊嶋さんには、新生・豊嶋歯科医院の出発をお祝いして、休閑窯(半谷秀辰さん)の夫婦湯呑みを贈呈しました。
取材前、大堀相馬焼はあまり詳しくないんだけど、とおっしゃっていた豊嶋さんですが、黒い釉のかかった外観をご覧になって、「ああ、これは新しいスタイルの相馬焼ですね」。たしかに内側には青ひびや縁起の良い走り駒の絵も入っていますが、外側のブラックの紋様がモダンな印象になっています。
「震災前から大堀相馬焼も進化していましたよね。色も形も、若い作家さんたちがどんどん新しいバリエーションを生み出しているのがいいなと思っていました」
その窯元たちは各地で窯を再開した後も、伝統的なスタイルに加えてそれぞれ新作に力を入れていますから、大堀相馬焼春の新作展などでぜひご覧いただければと思います。
さて、豊嶋歯科の診療再開からまもなく半年。これまで、毎日予想以上に多くの患者さんがいらしているそうです。 「町内や近隣の南相馬だけでなく、わざわざ福島や二本松、郡山などからも以前の患者さんが来てくださるんですよ。それは本当に有難くうれしいですね。再開してよかったと思います」
まだ買い物環境も医療環境も整備されたとはいえない浪江町内での暮らしに、不安や不満がない方はいないでしょう。それでも故郷に戻る選択をした人、新しく町民になる人は着実に増え続けています。すべての住民の“健口”を守る大切な「地域の歯医者さん」、豊嶋先生がいつまでもお元気で診療を続けられますようお祈りいたします。
(取材・文・写真=中川雅美 2018年12月)