お知らせ
大堀相馬焼協同組合が新たなステージへ~浪江町内の新拠点設置へ向けて
2012年7月より二本松市小沢で営業していた大堀相馬焼協同組合の工房兼事務所が、このたび3月31日をもって終了しました。これからいよいよ、浪江町内での拠点再開に向けての準備がスタートします。
浪江にあってこその大堀相馬焼
2011年の東日本大震災と原発事故で故郷を追われた大堀相馬焼。関係者たちの熱意により、その翌夏に完成したこの二本松工房は当初、窯を失った窯元たちの共同窯として開設されたものです。団体にも対応できる陶芸教室や作品の展示販売を行い、町民はもとより県内外からも大勢の方が来訪。多くの取材や視察にも対応し、未曽有の大災害にも屈しない伝統工芸品「大堀相馬焼」を全国に発信する役割も担ってきました。
震災から9年目に入ったいまも、故郷である大堀地区はいまだ帰還困難区域として居住が許されていません。しかし、2017年3月末には町の一部で避難指示が解除され、市街地を中心に住民が少しずつ帰還を開始。また、新設・再開する商業施設なども徐々に増え、町の復興は一歩ずつ前進しています。その中で大堀相馬焼協同組合は、二本松での営業を一度休止し、2020年を目処に町内に新たな拠点を設けることを目指して準備に入ったのです。
2015年から組合の理事長を務める春山窯の小野田利治さんは、「浪江にあってこその大堀相馬焼。(たとえ大堀でなくても)そこに戻って拠点を作ることには大きな意味がある」といいます。
かつて大堀には、登り窯を備えた「陶芸の杜おおぼり」という大きな施設があり、陶芸の里のシンボルとして機能していました。構想されている新しい施設の規模はそれより小さいものの、二本松工房と同様に窯を設置して陶芸教室を可能にするほか、もちろん展示販売も計画されています。
▲「陶芸の杜おおぼり」では「大せとまつり」などの大催事も行われていました(浪江町役場ご提供)▲
伝統+新しい発想で次世代の大堀相馬焼を
かつては20以上を数えた大堀相馬焼の窯元たち。震災後その多くが休廃業を余儀なくされた一方、町外の新天地で窯を再建した人も少なくありません。故郷を離れてもなお、「大堀相馬焼」の名に誇りをもって作陶を続ける窯元たちは、それぞれに創意工夫を重ねた作品づくりをしています。
その一人、白河市で再開したいかりや窯の山田慎一さん(大堀相馬焼協同組合専務理事)は、伝統を大切にしつつ「時代にあった新しい発想」の必要性を強調します。
「大堀相馬焼の伝統は、二重焼き・青ひび・走り駒。それが匠の技であることは間違いありませんが、そのスタイルをお好みのお客様ばかりではありません。新しい層のお客様にもアピールするような作品作りは、もちろん震災以前からどの窯元もやっていましたけれど、これからは『売れるものを作る』という意識をさらに高める必要があると思います。売れずに潰れてしまっては伝統も守れないのですから。大堀相馬焼という名前をどんどん発信することも大切です。そうやって窯元ごとの売上を伸ばし、産地全体として数億円の規模の産業を目指したい」
もうひとつ、震災以前からの課題であった「担い手の確保」についても、2018年度から「地域おこし協力隊員」制度を活用した職人育成を開始。これからも京都や瀬戸(愛知)など県外の産地から若者を呼び込み、「(協力隊の任期である)3年間の修業を経て、職人として生活していけるようなカリキュラムを検討する」(山田さん)といいます。
新天地で再開を果たした窯元たちは、しかし、物理的には浪江から遠く離れてしまいました。組合員窯元の協力で運営される協同組合が浪江に新拠点を作れば、移動や搬送の負荷はどうしても増えることに。したがって、浪江町内での販売量は当面限られるものの、「もし好調なら町内のウェイトはどんどん上がるでしょう」(山田さん)。
▲大堀相馬焼協同組合・理事長の小野田利治さん(春山窯)と専務理事の山田慎一さん(いかりや窯)▲
産地を追われながらも不屈の精神で作陶を続ける大堀相馬焼の窯元たち。前途はまだ平坦ではありませんが、浪江の誇るこの伝統工芸を次代に受け継ぐべく、次の挑戦が始まっています。
(2019年4月)
※大堀相馬焼協同組合の二本松事務所・工房は営業を終了しましたが、浪江町内で再開するまでの間も以下の業務は継続して承ります。
大堀相馬焼製品のご発注
大堀相馬焼全般について取材・視察などのお申込み
イベント等への出展のご依頼
陶芸教室のご紹介
※大堀相馬焼の作品は、再開している各窯元で購入できるほか、以下の店舗で一部の窯元の作品を展示販売しています。
福島県観光物産館(福島駅西口コラッセ1F)
ミッセなみえ(浪江町仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」内)
日本橋ふくしま館MIDETTE