大堀相馬焼 松永陶器店

お知らせ

きっと馬九いく!大堀相馬焼は地域の皆さんと共に(20)阿久津雅信さん

1阿久津さん

第20回(最終回):阿久津雅信さん
有限会社アクツ電機 代表取締役

浪江町大堀地区に受け継がれてきた「大堀相馬焼」。左馬(右に出るものがいない)、九頭馬(馬九行久=うまくいく)の絵柄は、縁起物として開業祝いなどの贈答にも用いられ、喜ばれてきました。

浪江町は2017年3月末の避難解除以来、だんだんと活気を取り戻しつつあります。その町内で事業再開した方を大堀相馬焼のお祝いとともにお訪ねするこのシリーズ。最終回にご登場いただくのは、今年6月に権現堂で新店舗をオープンしたアクツ電機の阿久津雅信さんです。実は阿久津さん、この大堀相馬焼の「馬九行久」を世間に広く知らしめた立役者でもあるのです。さっそくお話を伺ってみましょう。

なみえ焼そばでまちおこし

極太の中華麺。豚バラ肉とモヤシというシンプルな具材に濃厚ソース。いまや全国区で有名になった「なみえ焼そば」ですが、その”生みの親“と言えるのが、浪江町商工会青年部が2008年に結成した、その名も「浪江焼麺太国(なみえやきそばたいこく)」という団体です。当時、町内の飲食店で単に焼そばとして提供されていた特徴ある麺料理を、まちおこしに活用しようと考えたのでした。

2なみえ焼そば
▲なみえ焼そば(浪江町役場提供)▲

3太国バナー
▲浪焼麺太国公式サイトより▲

今回ご紹介する阿久津雅信さんは、本業のかたわら2009年に商工会青年部長(および太国代表)に就任。ご当地グルメでまちおこしする団体の祭典「B-1グランプリ」出場を果たしたほか、「NYTS(ナイツ)」というご当地アイドルを誕生させたり(一説には「ご当地アイドル」と呼ばれたのはNYTSが初めてだとか)、2010年には「東北4大やきそばサミットinなみえ」を開催したりと、まちおこしに力を入れてきました。

「なつかしいなあ…」

人口2万人余の浪江町に3万5千人も集客したという、その伝説の「やきそばサミット」に話が及ぶと、阿久津さんはそういって目を細めました。青年部の若手経営者仲間でつくった太国では当時、焼そばを中心に次から次へとまちおこしの楽しいアイデアが出ていたそう。マスコミにも取り上げられて町全体が盛り上がり始め、まさにこれから、というときに起きてしまったのが2011年の東日本大震災でした。

数々のご縁に助けられて

阿久津さんの本業は電機店です。お父様が創業された「アクツ電機」は浪江駅前に店を構え、半世紀近く地元で愛されてきた「地域の電気屋さん」でした。

震災と原発事故で浪江が全町避難になると、阿久津さん一家も山形へ避難。親戚や知人がいたわけではなく、当時は「少しでも遠くへ」という判断だったそうです。情報がない中、2人の小さなお子さんを抱え、さぞやご心配だったことでしょう。3月14日午前、県境の栗子トンネルの中で原発3号機の水素爆発のニュースを聞き、「もうこれで福島は封鎖だなと思った」といいます。

その後、阿久津さん一家は、知り合いの同業者の招きで秋田県の由利本荘市に落ち着くことになりました。4月初めには市営住宅に入居し、翌月には市の臨時職員として働き始めることができたそうですが、この間、本業だけでなく太国の活動を通じたご縁にも「本当に助けられた」といいます。そうしたご縁を生んだのも、やはり阿久津さん自身のお人柄に違いありません。

そして震災から1年。阿久津さんは市役所を辞め、電機店の仕事を再開する決心をします。実はそれまでも、浪江のお客様からの問合せが絶えなかったのだそう。

「新しく事務所を作るからエアコンつけて」

「パソコンを直してほしい」

「早く福島に戻って電機店の仕事をしてくれ」

アクツ電機のお客様たちは避難先で生活を再建するにあたり、現地の電機屋さんではなく阿久津さんを頼ってきたのです。こうした声に励まされて阿久津さんは2012年春、南相馬市原町区の仮事務所で営業を再開。その翌年に浪江町への立ち入りが可能になると、仕事で頻繁に浪江にも入るようになりました。除染が進み、準備宿泊が始まり、そして避難指示解除。ずっと町の様子を見てきた阿久津さんは、「もう帰れない」から「帰れる」、そして「帰りたい」という気持ちに変わってきたといいます。

そしてついに2019年6月、ご自宅跡地に建設した新店舗で「アクツ電機」の営業が再開されたのでした。

なみえ焼そばと大堀相馬焼

今回、阿久津さんにプレゼントした大堀相馬焼の品は、こちらの花瓶です。

4花瓶

「お、きれいだね。この丸みとサイズ。センスいいね。誰の作品だろう?」

答えは福島市内で作陶を続けている京月窯(近藤京子さん)。コロンとしたフォルムに大堀相馬焼の特徴である細かいひびが入り、清楚でエレガントな印象ですね。真新しい事務所に花を添える器になれば幸いです。

5阿久津さんと花瓶

「実は以前、大堀相馬焼って身近にはあったけどあまりよく知らなかったんですよ。二重焼きは面白いなと思っていたけど、馬の絵の意味とか全然知らなかった」

そんな阿久津さんが「九頭馬」に出会ったのは、太国の活動でなみえ焼そばを大堀相馬焼の皿で提供しようというアイデアが出たときのこと。

「青年部のメンバーに窯元の息子さんがいたので試作してもらったら、馬が1頭でなく9頭も描いてあったんです。その意味を聞いて、これはすごい、太国の“国宝”(公認皿)にしよう!となりました」

そう、馬は運気をあげる象徴。そして9頭は勝負運、金運、出世運など9つの運を表すとも言われ、江戸時代から“馬九(うまく)いく”の語呂合わせで縁起が良いとされてきました。こうして、なみえ焼そばのプロモーションには「何事も馬九行久」の文字が入るようになったのです。焼そばを完食してお皿の9頭を全部数えられたら夢がかなう、という“伝説”も作り、テレビでも取り上げられて「なみえ焼そば+大堀相馬焼」が定着したのでした。

6うまくいく皿

浪江焼麺太国は、震災と原発事故の苦難を乗り越えて活動を継続。2013年のB-1グランプリ優勝は、避難を続ける全国の浪江町民を大きく励ますニュースでした。が、その後メンバーの生活再建や町の復興ステージの変化に伴い、団体も次のフェーズを迎えています。

「2015年を最後にB-1出場は終了しました。ただ、太国の活動が終わっても浪江のまちづくりはまた新しいステージに向かって進んでいきます。浪江にとって、この先はもうプラスしかない。ゼロから新しい町をつくるんだと考えれば、楽しいですよね。こういう状態だからこそできることはいっぱいあります」

今は仕事を固めるのが先決だけれど、「内に秘めているものはある」とおっしゃる阿久津さん。また以前のように、お仲間たちと一緒に「楽しい企み」で浪江を盛り上げてくださる日が楽しみです。ご活躍をお祈り申し上げます。

2019年11月取材
文/写真=中川雅美