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相双での時間を思い出に―同期会の記念品に大堀相馬焼「豆皿」が選ばれました
2020年3月半ばのある晩。南相馬市内の飲食店で、とても仲のよさそうな若いグループがテーブルを囲んでいました。集まったのは、福島県相双地区(相馬郡・双葉郡)内の県立高校に勤める、2016年卒の同期の先生方です。13名いらした同期のうち、次年度からは10名が他地区に転勤されるということで、この日の名目は「同期分散会」。宴のハイライトで一人ずつ手渡された記念品が、大堀相馬焼の「豆皿」でした。
そこで本コラムでは、この会の幹事を務められた2人の先生にインタビュー。会の背景や大堀相馬焼をお選びいただいた経緯などを伺いました。
▲首藤先生/相馬高校(=写真右)と熊坂先生/小高産業技術高校(=写真左)
例がないほど仲の良い同期会Team SOSO
「こんなおそろいのも作っちゃったんですよ」
そういってポロシャツとトートバッグを見せてくださったのは、相馬市にある相馬高等学校の首藤花央(しゅとう・かお)先生。シャツの背中には「Team SOSO」の文字と、相双地区7つの県立高校*の校章が誇らしげにプリントされています。
▲*ふたば未来学園高校、小高産業技術高校、原町高校、相馬農業高校、相馬高校、相馬東高校、新地高校
バッグに描かれたのは馬のイラスト。もちろん、相馬が誇る伝統行事「相馬野馬追」がモチーフです。
2016年度採用の福島県立高校教員約80名のうち、相双地区に配属になったのが13名。地区ごとに実施される初年度研修で月に一度集まるうちに親睦が深まり、2年目以降も定期的に集まる仲になったのがTeam SOSOだといいます。
「これほど仲のいい同期は珍しいのではないでしょうか。辛いことがあっても支え合い、励まし合ってこられたのは本当にありがたいことでした」
首藤さんご自身は郡山市出身。相馬高校への配属が決まるまで、「相馬市がどこにあるのかもよく知らなかった」といいます。広大な福島県、沿岸の相双地方と内陸中部の郡山とは阿武隈山地で隔てられ、特別な用事がなければ往来は少ないのが現状です。親戚も友人もいない土地に一人で赴任した当初は、さぞや不安で心細かったでしょう。
相馬高校といえば、120年余の歴史を誇る伝統校。2011年の大震災では校舎は無事でしたが、津波で親族を失くした生徒もいたそうです。続く原発事故で避難区域にはならなかったものの、地域の人口減は止められず、相馬高校は1学年5クラスが4クラスに。それでも、地域に根差した特色ある教育を続け、地区トップの進学校としての地位を維持しています。
そんな相馬高校で教鞭をとって既に5年目となる首藤さん。変化の時期を乗り越え、今のお仕事を「楽しい」とおっしゃいます。小さいころからの「先生になる」という夢を実現し、仲間に恵まれ、充実したお仕事ぶりがうかがえました。
▲歴史ある相馬高校。敷地内にある旧福島県立相馬中学校講堂は国の有形文化財に登録
避難指示解除直後の小高区で
もうお一方、お話を伺ったのは、南相馬市小高区にある小高産業技術高等学校の熊坂仁志先生です。熊坂さんも内陸の伊達市出身。南相馬には「中学のとき、バスケの試合を見に来たことしかなかった」そうです。
小高産業技術高は、2017年に小高工業高と小高商業高が統合して誕生した学校です。熊坂さんが2016年春に着任したのは旧・小高工業でした。当時の小高区はまだ全体が避難区域で、小高工業は区外のプレハブ仮校舎で授業を行っていました。が、同年夏には避難指示が解除され、翌年度からは新生・小高産業技術高として小高区に戻って再開することが決定。「年度の後半は引越しの準備で大変だった」といいます。
「小高工業の元の校舎で授業を再開するのですが、グランドは草ぼうぼう、体育館も避難所として使われたときのブルーシートや尋ね人の貼り紙なんかが残ったままだったんです」
そして、晴れて小高区に戻ってからも苦労は尽きませんでした。
「当時の小高はまだ住民も少なく店もなく、ほんとうに寂しい状態でした。部活が終わって帰るころにはもう真っ暗。私は1年目の文化祭を担当したのですが、生徒たちが準備のための買い出しに行く店がありません。だから(車で20分ほど北にある商業地区の)原町までバスを出したりしました」
新任、知らない土地、しかもこうした難しい状況。熊坂さんにとって、Team SOSOの同期の励ましが大きな力になったであろうことは想像に難くありません。
この地域で共に働いた仲間の絆として
そんなTeamSOSOの同期たちもこの4年間で少しずつ県内他校に異動していき、2020年度も相双地区に残って5年目を迎えるのは、首藤さんと熊坂さんを含む3名だけになってしまいました。そこで「同期分散会」を催すことになり、「送り出す」側としてお二人が幹事となったそうです。
「記念品選びは悩みました。文房具やハンカチなども考えましたが、やはり相双地区で働いてきた仲間として、この地域ならではの思い出を形にしたいと思ったんです。たまたま実家に帰ったときに(双葉郡浪江町の特産である)大堀相馬焼の湯呑みを見つけて、そうだ、これがあるじゃないかと」(首藤さん)
そしてネットで検索して見つけてくださったのが、大堀相馬焼WEB本店の「豆皿」でした。
「湯呑みやカップもいいけれど、この豆皿は小ぶりで手軽。使ってもいいし、飾ってもかわいいですよね。なにより、13人の同期が1枚ずつ違う絵柄を持てるのが記念品としてちょうどいいと思いました」(首藤さん)
現在、「ふくしま焼き物旅マップ」としてリリースされている豆皿は、福島県相双地方を中心とした12市町村*のコトやモノをモチーフにしたもの。地域のイベントにお集まりの皆さんから募ったアイデアをもとに県内のクリエイターがデザインを仕上げ、大堀相馬焼の窯元たちが焼き上げた、直径8センチほどのかわいらしいお皿です。
*2011年の原発事故で避難指示を経験した12市町村(田村市、南相馬市、川俣町、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村)
首藤さんはひとつひとつの箱にThank youのメッセージを付け、丁寧にラッピング。同期分散会の席で贈呈が行われると、さっそく皆さんその場で開けて絵柄の見せ合いになったそうです。
「みんな盛り上がりましたね。これはどこの?何の柄?って。誰がどの絵柄に当たるかは当日のお楽しみだったんですよ」(熊坂さん)
そうして各自が豆皿をもって記念撮影してくださったのが冒頭の写真です。首藤さんはダルマ(双葉町)、熊坂さんは胡蝶蘭(葛尾村)が当たったそうで、取材の日に実物を見せていただきました。まったく違うタッチのデザインですが、貫入(ひび割れ)や青磁色の釉といった大堀相馬焼の特徴が見えます。
Team SOSOで集まるたび、「同期ががんばっているから自分もがんばらなきゃ」と励まされてきたという首藤さんと熊坂さん。お二人の笑顔はほんとうに清々しく、心から「教える」という仕事にやりがいを感じておられるようでした。ご自身も「先生の影響で教員になろうと決めた」とおっしゃるとおり、生徒たちの将来に大きな影響を与える大切なお仕事。特に大震災と原発事故からの復興途上にあり、地域の将来を担う人材の育成が喫緊の課題となっている相双地方ではなおさらです。
お二人とも、県立高校教員としていずれ他地区に転出される日が来ることでしょうが、Team SOSOの同期の先生方とともにこの地区に残してくださったものは、大堀相馬焼の故郷・浪江町を含む相双地区、浜通り地方、そして福島県の未来にとって、きっとかけがえのない宝物となるに違いありません。今後のご活躍を心からお祈りいたします。
※所属・肩書は2020年3月時点のものです。
(取材・文=中川雅美 2020年3月)