大堀相馬焼 松永陶器店

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【私と大堀相馬焼】〜第3回 松本孝徳さん〜

浪江町大堀地区に受け継がれてきた伝統工芸品「大堀相馬焼」は、地域の人々にどれほど親しまれてきたのでしょうか。大堀相馬焼にまつわる思い出やエピソードをご紹介するインタビューです。

今回は、浪江町権現堂地区ご出身の松本孝徳さんに、お勤め先の浪江町役場でお話を伺いました。

イタリアで気づいた、伝統への誇りということ

松本さんが生まれ育った権現堂地区は、町の中心市街地。大堀相馬焼の里である大堀地区からは少し離れていますが、それでも家の中の器は当たり前のように大堀相馬焼だったそうです。DSC_1574

「中学・高校の同級生に窯元の息子さんが何人かいたんですよ。彼らの家にもよく遊びに行ってましたので、そこでも相馬焼には触れていました。でも、当時は焼き物の良さなんて全然わからなくて」と笑う松本さんは、その後、新婚旅行で訪れたイタリアで大きな「気づき」を得たといいます。

「フィレンツェに行ったら、有名なドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)を中心に、街中の建物がすべてオレンジ色の瓦で統一されているんです。古い町並みの景観を残すために、ちゃんと法律があるんですね。みな町に誇りを持っていて、古いものを修復しながら大切にしている。修復師という職業の人も多いと聞いて、これはすごいと思いました。ひるがえって日本はどうかと考えたら、そういうアイデンティティというか、誇りのようなものをあまり大切にしていないんじゃないかと」

そこで初めて松本さんは、自分の故郷に300年以上の歴史を誇る大堀相馬焼というすばらしい伝統的工芸品があることに気づいたのでした。

一目惚れしたてんとう虫のカップは今も

奥様も器がお好き。「二人とも、特にこの窯元さんが好き、というのではなく、見て『あ、いいな』と思ったものを買うタイプ。この皿にはこんな料理を載せたらおいしそうだな、とかね。気がついたら、重ねておいた下の皿がもう取り出せないくらいのコレクションになってしまいました(笑)」

東日本大震災まで毎年ゴールデンウィークに大堀地区で開催されていた「おおせとまつり」にも、よくご夫婦で訪れたそうです。15年以上も前のその「おおせとまつり」で、松本さんが一目惚れしたのが、このてんとう虫の絵が描かれたペアカップでした。松永窯の作品です。DSC_1577

「いまでこそモダンなデザインの大堀相馬焼も増えていますが、当時はまだ伝統的な、青ひび・走り駒のものが圧倒的に多かったと思います。その中にこのクリーム色のカップがあって、しかもてんとう虫!(笑)すごく新鮮で、一瞬あれ?これ相馬焼なの?って。でもよく見るとひびも入っていて、たしかに相馬焼なんですよ。てんとう虫の絵がなんともかわいらしく、素朴で味があってこういうの大好きです、という意味で『子供が描いたみたいですね』って言ったのを覚えているんですが、後から考えたら失礼なこと言っちゃったかなと(笑)。白地に赤い丸というのも、『日本らしい』感じがして気に入りました」

2011年3月に震度6強の地震が浪江町を襲ったとき、このてんとう虫のカップを始め、ご夫婦で集めた器たちは松本家の食器棚の中にありました。「その頃まだ子供が小さかったので、棚の扉にロックをかけていたんです。それが幸いして揺れても扉が開かず、食器も割れずに済みました。本当によかったです」

とはいえ、原発事故による強制避難で6年近くも家に帰れなかった松本さん。残してきた家財の多くを最終的に処分せざるを得なかったなかで、その食器棚と中の食器はすべて「救出」することができたそうです。松本さんは、このてんとう虫カップで今でも毎朝コーヒーを飲んでいます。

新しいことにチャレンジしている窯元たちを応援したい

日本全国で課題となっている伝統工芸の後継者不足。大堀相馬焼も決して例外ではなかったところを、さらに東日本大震災・原発事故という災難が襲いました。フィレンツェで「伝統を受け継ぐ」ことの大切さに目覚めたという松本さんは、この問題をどう考えているのでしょうか。DSC_1566

「伝統を守るといっても、陶芸家の方の生業にならなければ、つまりそれで十分な収入を得られなければ存続できないわけです。やはり、戦略として市場のニーズをとらえ、それを作品に反映させていく必要があるのではないでしょうか。いまどき100円ショップでも器は買えますが、そうではない価値を求める人もいます。私自身は作り手ではないので、あまり無責任なことは言えませんが、常に『魅力ある』ものを提供する、という視点は大事なのかなと」

そして、大堀相馬焼の永い歴史に誇りを抱きつつ、新しいことに挑戦する窯元たちを応援したい、とも。

「松永窯さんはじめ震災後に再開した窯元の皆さんは、発想を転換して、伝統のスタイルだけでなく、若い世代や海外にもアピールするもの、表札や時計など今までにないものも作っておられますね。浪江町の大堀相馬焼はそうやって新しいことにチャレンジしている、ということをぜひ世間に知らせたい。そのために、私自身もできることをやって応援して、フィレンツェの街のように浪江の伝統を後世に繋いでいくことができれば、と思っています」

2020年に第1期オープンを目指す浪江町の「道の駅」にも、大堀相馬焼再生のシンボルとして窯を設置することが検討されているそうです。浪江町内で再び窯に火が入る日が待たれます。Kachi-uma

(写真=松永窯が2014年の午年を機会にリリースした「KACHI-UMA」は、二重焼、馬の絵柄という大堀相馬焼の特徴はそのままに、若手デザイナーによるモダンなデザインを取り入れたシリーズ。松本さんはご自身と奥様、二人のお子さん用にそれぞれ違うデザインのものをお求めになり、ご家族で愛用してくださっています。)

(取材・文・写真 = 中川雅美 2017年6月)