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インタビュー:浪江青年会議所40年目の活動と大堀相馬焼に期待すること
縁起物の大堀相馬焼は、個人だけでなく企業様や団体様の贈答品としても数多くご利用いただいています。今回は、創立40周年記念の品として大堀相馬焼を採用くださった浪江青年会議所をお訪ねし、お話を伺いました。
(左)浪江青年会議所 第40代理事長 前司昭博さん(株式会社伊逹重機 専務取締役)
(右)同 創立40周年記念特別委員会委員長 小林直樹さん(浪江町役場産業振興課産業創出係長)
▷一般社団法人浪江青年会議所
双葉郡浪江町権現堂字下川原9-1
http://namiejc.org/
解散の危機を乗り越えて40年の歴史をつなぐ
――本日はお忙しいなかお時間をいただき、ありがとうございます。まずは一般社団法人浪江青年会議所(以下「浪江JC」)創立40周年おめでとうございます。改めて団体の成り立ちを教えてください。
【第40代理事長 前司昭博さん(以下敬称略)】 そもそもJCというのは全国組織で、次代の担い手たる責任感とリーダーシップを持った20~40歳の青年経済人であれば、だれでも自分の住む地域のJCに参加できます。40年前に創立された浪江JCの担当エリアは、北双4町村(浪江町・双葉町・大熊町・葛尾村)。昔の標葉(しねは)郡にあたる地域ですね。現在27名いるメンバーもその4町村の出身者から構成されていて、ほとんどが東日本大震災後に加入した若手です。
――具体的には、どんな目的でどんな活動をしているのですか?
【前司】 毎月の定例会のほか、ビジネススキルアップのための勉強会・講演会などの開催、地域の魅力発信や文化継承に関わるさまざまな活動をしていますが、いちばんの目的はネットワークづくりですね。メンバーは事業所を代表する立場の人も多いのですが、会社というのは経営者以上には大きくなりません。自分の仕事の範疇だけでがんばっていてもそれ以上伸びることは難しいんです。それが、JCに入ることで地域の他の経済人とつながりができ、仕事のやり取りも生まれますし、なにより困ったときに助け合う「仲間」ができるのです。
――今年は40周年ということで、特別な事業も計画されていますか?
【創立40周年記念特別委員会委員長 小林直樹さん(以下敬称略)】 4月の記念式典開催を皮切りに、団体の中期ビジョンづくりをスタートしました。そして、震災後に立ち上げた「ふるさと未来創造会議」という会議体において、産業再生と文化継承という2テーマで政策提言につながる議論をしていこうとしています。
▲姉妹JCの西宮JCから贈呈された横断幕(浪江JCご提供)▲
――昨年は「標葉まつり」も主催されましたね。
【小林】 ええ、今年も10月頃に開催を予定しています。「標葉まつり」は10年前の30周年記念事業として始まったイベントです。2回開催したところで東日本大震災が起き、中断していたのを昨年復活させました。当初は「食」を中心に地域ブランドの確立を目指したものでしたが、復活後はそれも引き継ぎつつ、避難でバラバラになった人たちが再びふるさとに集える場所づくり、そしてこの地域の文化継承を主な目的として開催しています。
――浪江JC自体も、大震災と原発事故で存続の危機に直面したのではないでしょうか。
【前司】 震災直後はやはりみな大変な状況で、解散するかどうかという議論も確かにありました。でもJCというのは業界団体などと違って、自由意思で集まったメンバーが会費を出して、自分たちの責任で運営する自主独立の組織です。だから、歴代理事長をはじめOBたちをとても大事にする文化があるのです。その先輩たちが築いてきた歴史の幕を、ここで閉じてしまっていいのか?そう考えたとき、解散はいつでもできるのだから、たとえ規模を縮小しても存続させようということになり、2012年には活動を再開しました。
といっても、当時は浪江には入れませんから、福島や郡山などで会合を開き、三宅島や水俣など困難を経験した地域から講師を呼んで地域再生のストーリーを学んだりしました。「ふるさと未来創造会議」を立ち上げたのもその年です。
▲避難指示解除前から大掃除をして、すぐに使えるよう準備してきた浪江JCの事務所▲
――そして2017年3月に浪江の避難指示が解除され、やっと地域に拠点を戻すことができたのですね。でもまだ避難先にいる方も多いなか、運営には困難もありそうですが。
【小林】 双葉町や大熊町はまだ帰れない区域が大部分ですし、さまざまな事情で地域外に居住しているメンバーはいます。でも、定例会などにはみな数時間かけて来てくれますよ。郡山、白河、会津、東京などからも出席者がいます。
【前司】 私は震災後に入会した第一号なんですが、今のメンバーはみな「この地域をどうにかしなければ」という強い使命感があって入ってきた人たちばかりです。浪江JCのような地域団体は、やはりその地に根差したうえで地域の将来を語るべきじゃないでしょうか。私自身は浪江町に戻っていますが、すぐには戻れない人もいる。先に帰った私たちが土壌づくりをして種をまき、帰ってきやすい環境を作ることが大事です。それこそが「地域のために行動する」ということではないかと。
産地と一体となったストーリーを紡いでいってほしい
――さて、このたびは40周年の記念品として大堀相馬焼をご利用くださいました。
【前司】 やはり標葉地域の伝統工芸品というと大堀相馬焼ですからね。飾り物よりも日常的に使えるものが喜ばれると思ったので、目的にあわせて水差しと花入れ、そして記念式典の来場者への記念品としては小ぶりのタンブラーを注文しました。おかげさまで使いやすいと好評でした。
ちなみに個人的には、生まれた頃から実家で使っていた大堀相馬焼のおろし付き醤油皿が気に入っています。他の産地の陶器では見かけないんですよね。先日も、とある会議で町外からいらしたお客様のお土産に30個ほど購入したところです。
――「文化継承」を活動テーマのひとつに掲げる浪江JCにとっても、大堀相馬焼の将来は気になるところと思いますが。
【前司】 避難でバラバラになってしまっても、窯元の皆さんは大堀相馬焼という「地域の宝」を維持し、地域の魅力を伝えてくれています。ただ、それを将来にわたって受け継いでいくには、やはり生まれ故郷に戻り、浪江とともに歴史を刻んでいく必要があるのではないでしょうか。ただでさえ伝統工芸は全国的に厳しい状況です。産地と一体となったストーリーを紡いでPRしていかなければ、商業的にも難しくなっていくのではと思います。
これから建設が始まる「道の駅なみえ」には共同窯が作られると聞いていますが、ぜひ早期に町内に大堀相馬焼の拠点を作り、活動再開されることを期待しています。また、浪江JCには大堀相馬焼の関係者のメンバーがいないので、ぜひ仲間になって一緒に地域を盛り上げていってほしいですね。
――どうもありがとうございました。
2019年5月取材
聞き手・文=中川雅美