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大堀相馬焼と相馬駒焼の歴史|文化の秋に伝統工芸品を考える
こんにちは。
コラム担当の西田です。
本日はちょっと真面目に、そして原点に立ち返って、相馬焼の歴史を説明したいと思います。
読書の秋、芸術の秋、文化の秋ということで、どうぞお付き合いくださいませ!
○大堀相馬焼と相馬駒焼の歴史
相馬焼は江戸時代の後期、元禄の頃から約300年続く、歴史の長い焼き物です。
相馬焼といっても、実は相馬駒焼と大堀相馬焼という2種類に分けられます。
相馬駒焼は藩主相馬氏への献上品から始まったもので、現在まで一子相伝でつくられています。
対する大堀相馬焼は、庶民が日常生活で使える手軽なもので、主に農家の副業として営まれた半農半陶の工芸品だったそうです。
また、江戸時代の大堀相馬焼は植物や風景を描くことが多かったようです。
素朴、力強い、派手ではないが大胆…
異国情緒的、古いもののはずなのにどこか新しい…
当時の大堀相馬焼の資料を白河の資料館で拝見したのですが、そのときの素直な感想はそのようなものでした。
完全に個人の意見ですが、どこか現代アートにも通じる要素があるように思えます。
○大堀相馬焼の2度の危機
大堀相馬焼が現在のような特徴(3つの特徴:馬の絵、ひび割れ、二重焼き)を持ち始めたのは明治維新の頃だといわれています。
変化の理由は、廃藩置県により藩の援助がなくなったことや交通の発達による他産地との競争激化。
「伝統を絶やしたくない」「他産地に負けたくない」そんな思いが生み出した3つの特徴は現在でも受け継がれています。
そして、2度目の危機とは東日本大震災。
大堀相馬焼のもともとの産地である浪江ではもう生産できなくなってしまいましたが、そんな苦難にも負けず営業を再開した窯元は約10ヶ所あります。
松永窯は現在、白河の西郷という場所で生産と販売を行っています。
相馬焼の歴史の長さと深さは伝わりましたでしょうか…?
文章にするのはなかなかに難しいものです。
「とにかく手にとってみたい!」「難しい話は抜きに実際に使ってみたい!」
そう思った方はぜひ、相馬焼を使って飲んだり食べたりできるイベントへの参加をご検討くださいませ!