お知らせ
【私と大堀相馬焼】〜第4回 小松さん〜
浪江町大堀地区に受け継がれてきた伝統工芸品「大堀相馬焼」は、地域の人々にどれほど親しまれてきたのでしょうか。大堀相馬焼にまつわる思い出やエピソードをご紹介するインタビューです。
今回お話を伺ったのは、浪江町出身で現在は東京在住の小松さん。昨年のご結婚式では、引き出物に松永陶器店のコーヒーマグをお選びくださいました。町を出てからふたたび故郷への思いを新たにするまでのストーリーです。
留学してわかった日本のこと、震災に遭ってわかった故郷のこと
小松さんは東京の大学を卒業後、そのまま東京で就職。東日本大震災後も毎年、お墓参りなどで浪江町を訪れているそうですが、実は小さいころは浪江が好きではなかったのだとか。
「小学校の頃から、とにかく早く町を出たくて仕方ありませんでした。父が学生時代に海外留学の経験があって、そのときの写真をよく見ていた影響かもしれませんが、私も遠くの国へ行きたい、留学したいとずっと思っていて。それで一生懸命勉強しました」
英語が好きだった小松さんは、英語以外の外国語も習得したいと考え、大学ではトルコ語を専攻。在学中1年間トルコに留学し、幼い頃からの夢を叶えることができました。しかし、留学生活は楽しかったものの、行ってみて初めて分かったことがあるといいます。
「自分は日本のことを何も知らない、という事実を突きつけられたんです。歴史とか文化とか、聞かれてもうまく答えられなくて、ものすごく反省しました。ちゃんと日本のことを話せるように勉強しようと思い、そこから自然に伝統や文化に興味を持つようになって。卒業後は茶道も始めました」
東日本大震災と原発事故が起きたのは、小松さんが留学から戻った大学4年の3月でした。それまで離れたくて仕方なかった故郷が、全町避難という事態になってみて、「帰る場所がなくなるって、こんなにも不安になるものか」と気づいたといいます。「生まれたところがなくなるってけっこうな衝撃でした。拠り所がなくなって根無し草みたいな感じというか」
でも、「なくなる」といっても土地そのものが消えてしまったわけではありませんよね、と問いかけると、小松さんはこうお答えになりました。
「土地というより、コミュニティかな。お盆には親戚が全員うちに集まるとか、近所の人が朝から野菜を持ってきてくれるとか。昔は当たり前だと思っていた、そういう『人のつながり』です。避難で親戚もみなバラバラになってしまって、今はほとんど会えません。そういうのが嫌で東京に来たはずなのに、なくなると寂しいものなんですね」
自分たちの「原点」をテーマにした結婚式
そんな小松さんは、東京で良き伴侶となる方と出会い、昨年5月に挙式されました。
「親族と近しい友人だけのアットホームな式にしました。夫も私も、家族をはじめとする自分たちの『原点』みたいなものをテーマにしたくて、義理の父が収穫したタケノコをメニューに入れてもらったり、デザートには母のレシピを使ったケーキを出してもらったりしたんですよ。引き出物も、式場の用意してくれたカタログの商品では全然ピンとこなくて、どうしようかと思ったら、そうだ、私の故郷の伝統工芸、大堀相馬焼があるじゃないかと(笑)」
ネットを検索して最終的にお選びになったのが、松永陶器店のこのコーヒーマグでした。
「式に来てくれる親族はすでに相馬焼をたくさん持っているだろうと思いました。だから、普通のいわゆる相馬焼っぽいものじゃなくて、ちょっと違うデザインのものが欲しいと思って探したところ、松永陶器店のサイトでこれを見つけて、あ、いいなと。男性にはブルー、女性にはピンクのものをお贈りしました」
このマグの下半分とソーサーはマットな釉の仕上げ。一見「らしく」ありませんが、ちゃんと二重焼きでひびも入っています。外側にあるハート型(もともとは馬の蹄の形を模したもの)の穴も、結婚式にはピッタリだったようです。
「みんなに感想を聞いたら、私らしいって言われました(笑)。ソーサーがまた素敵で、お菓子を載せたりして使っている友人もいるんですよ」
なくしたくない故郷――浪江の再興を願って
震災をきっかけに、以前よりも故郷のことを考えるようになった小松さん。引き出物に大堀相馬焼を使ったのは、浪江の伝統工芸を東京の友人に知ってもらいたい、そして少しでも生産者の支援になれば、というお考えもあったそうです。
「浪江町の伝統の復活に、できる範囲でなにか貢献したいという気持ちは持っています。松永陶器店さんのサイトを見ているうち、4代目の松永武士さんが私と同い年だということがわかって、親近感がわきまして(笑)。SNSでフォローしているうちに、3月に福島空港で実施した陶器市の運営をお手伝いすることになって、その打ち合わせで初めて武士さんと直接お会いしました」
そのご縁で、実は小松さんは本コラムの運営も一部お手伝いしてくださっています。
「将来は、なんらかの形で浪江町に関わる仕事をしたいなとは思っています。それが20年後か30年後かわからないけれど…」とおっしゃる小松さんにとって、目に見えないコミュニティという故郷はなくなってしまっても、大堀相馬焼のような形のあるものが、生まれた場所とのつながりを守るひとつの道具になるのかもしれません。
ご自身で大堀相馬焼の器を購入されたのは、今回の引き出物が初めてとのことですが、これからはさらにご縁も深まりそう。ずっと続けておられる茶道でも、いつか大堀相馬焼のお茶碗でお点前を披露される日が来ることでしょう。
(取材・文・写真 = 中川雅美 2017年7月)